狭義のゲームは負荷である、という定義からすれば、映像が綺麗であることはゲームの構成要素ではない。 対象が視認できてコリジョンが変わらなければ、ゲームは変化しないからである。 しかし、やはり映像美は全く意味のないものでもないだろう。 映像美がプレイする意欲を湧かせることもあれば、リアリティ溢れる映像がプレイヤーの感じる価値を高めることもあるわけだ。 話の都合で「画なんてどうでもいいんだよ」と書くこともあるが、やっぱり見た目も大事である。 季節もだいぶ春めいてきた。 3月も中旬に入って、ようやく断熱性ゼロのリビングでもプレイできるようになった。 といっても、これといって遊びたいゲームもなかったのだが。 仕方ないからPS3版の『DmC Devil May Cry』をプレイすることにした。 それほど期待していたわけではなく、ブランド力のある作品であればそこそこは遊ばせてくれるだろう、程度の認識だった。 頭になぜ「DmC」が付いているのか不思議でしょうがなかったけど調べなかったし、いまも調べていない。 『DmC Devil May Cry』をプレイして最初に目を惹いたのは、その映像の目新しさだった。 クオリティという意味ではすでに飽和しているんだろうが、色彩が独特な印象を受けたんだ。 宗教的な気持ち悪さというか、ブリティッシュホラーというか、ちょっと見慣れない感じ。 エンドロール見て初めて気づいたけど、ほとんど外人さんが創ったらしいから、センスの違いが出てたのかな? 久しぶりに据置で遊んだからかもしれないけどね。 アクションも見栄えがした。 見た目が痛そうだからね、やる方も受ける方も。 チェーンアクションをコンボに組み込んでいくとスピード感が出て、より見栄えが増す。 同じ技を使わないようにコンボをつないでいくと得点が増すんだけど、首尾良く連続攻撃したときの爽快感はかなり高いな。 スコアアタックメインのシューティング的な手法をアクションに上手に持ち込んで、さらに映像で喜びを増加させている。 凄く楽しかったよ、ストーリーはさておき。 こういう作品をやってみると、やっぱり見た目も大事だとわかるな。 見た目がどうでも良いなら、どんどんハードが進化するはずはなかったんだしね。 当たり前のことだけど、中身に見栄えが伴ってれば尚更良いってことだ。 |