『FF9』をクリアし終えて、随分と日が経った。 もういい加減『FF9』の話は切り上げたいと思いつつも、書きたいことはまだ残っているのだ。 私が思う『FF9』の素晴らしさは序盤にあった。 とにかく苦しさがなかったのである。 RPGをやって何が苦しいって、立ち上げが苦しい。 いつも書いていることだが。 どうして苦しいのか? そこを考えないと、『FF9』の素晴らしさは見えてこないのだろう。 で、考えてみることにする。 ・・・ ・・ ・ すると、やっぱり人が創ったものだからかなあ、という風に思えてくる。 私達は自然物理の世界に生きている。 重力があったり、慣性があったりという世界に生きているわけである。 それは絶対であり、その中で生きられるように生まれてこのかた学習してきたのだ。 ところが、である。 ゲームの世界はそうではない。 人が創ったものだ。 だからどんな風にでも創れるのである。 それは単に入力デバイスとかゲームシステムのみではない。 全てが人の創りしものなのだ。 例えば、ゲーム中でひとの家の押入を漁って怒られるゲームと怒られないゲーム。 それはゲームデザイナーが決めたルールであり、プレイヤーはそれに従うしかない。 例えば、3D迷宮で行き止まりには高い確率で隠し部屋があるゲーム、なんていうのがある。 その事実に気付かなければそれまでだが、気付いてしまったら、行き止まりの度に壁を調べずにはいられないだろう。 あるいは、「人間」という定義をどうするのか?ゲーム中の人々にとって「善悪」とはなんなのか?というような概念のルールもある。 概念を捉えないとゲームに感情移入することは難しいだろう。 そういった全てはゲームデザイナーが決めたルールである。 ゲームの中にはそういうルールがいっぱいある。 ルールを体に入れていくときっていうのは、やはり苦しいものなのだ。 慣れてしまえばなんでもないことなのだが。 だからその苦しさを計算に入れて、苦しさに苦しさを重ねないようにする。 そういう心配りが欲しい。 『FF9』はそういう点で優れている。 序盤は物語の垂れ流しだ。 戦闘シーンは数えるほどしかなく、一回戦闘するたびにキャラはレベルアップしていく。 戦闘シーンがプレイヤーにとって苦痛である、ということを認識しているのだろう。 どうしてもアクセス待ちで長くなる戦闘シーンを極力減らそう、という意識が見て取れた。 苦しさを重ねないように、早いとこ先にルールを体に入れちゃえ!ということに違いない。 そのために多少プレイヤーの充実感を奪っても仕方がない。 その割り切りこそが『FF9』の素晴らしさだと思う。 <追記> FFシリーズは、とにかくプレイヤーに優しく、という理念で進化していると感じている。 だが、如何せん「早い段階で壁をつくる」という意識に欠けてはいないだろうか? 壁をつくることでシステムを理解させる、という部分もあろうと思うのだが。 FF9だったらディスク2の終わり辺で一山欲しいなあ、と後から思った。 というか、私は強い敵が出てこないと、システムを理解せずどんどん先に進んでしまい、あとでえらい目に遭う。 自分が悪いのかな? |