くまうた

弟子 2004_03_21

 

「弟子」ってのは、どんな存在なのか?
私は誰かの弟子になったこともなければ弟子を持ったこともないので、想像するより他にない。
私のイメージでは、師匠のワザを教えてもらう代償として絶対の服従を誓う、といったところなのだが。
だとしたら、ジョージはやっぱりサブちゃんに・・・・。

なんてな話はともかく、私はこのところ『くまうた』というゲームを少しずつ進めていた。
よりにもよって、これはSCEIの作品である。
ちょっとだけ説明しておくと、とある宇宙白熊がシュールレアリスム演歌の大家であったプレイヤーに弟子入りして、演歌を作りつつ演歌の心を学んでいくゲームである。
もう少し有り体に言ってしまうと、人工知能理論をゲームに組み込むために無理矢理考え出されたんじゃないかと私は思っている。
例によって、ここから先は自分で調べていただきたい。

この『くまうた』はそんなに面白くない。
演歌の歌詞を創るのがゲームの基本進行になるのだが、だからどうした、といった感がないでもないのだ。
意味不明な歌詞をシュールレアリスム演歌なんだ、と割り切っても、せいぜい「くすっ」ぐらいである。

ただ非常に魅力的だった。
熊岡シローがいい。
熊岡シローというのは、私の弟子であるところの宇宙白熊のことだ。(プレイヤーによって芸名は変わる。本名は不明)
コイツは可愛気のあるヤツなのだ。
彼は純真で素直で好奇心旺盛で、時々反抗したりもするんだけど、またそこがいい。
弟子というのは、こんなにカワイイものなんだろうか。
多分私がイイなと思っているところは、人工知能とは関係なくて、デザイナーが一つ一つ手間をかけて創っていった部分だと思うのだが。

メールがとても楽しみだったな。
新しいテーマを歌うとメールが届く。
そのメールを読んで熊岡シローは次のテーマを発見することになるのだが、メールを読んだ熊岡シローの反応が面白かった。
その楽しみのお陰でプレイしてこれたわけである。
正直言って、全テーマを攻略してしまったら、それ以上はやらないかもしれない。

もっとも、『くまうた』の公認HPに書いてある制作者のコメントを読むと、私の楽しみ方は創り手の狙いとマッチしていない事がわかる。
でも、実際そうなんだから仕方がないよな。



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