「SILENT HILL」と「DINO CRISIS」という、PS用大作ゲームとして制作された2つのゲームがある。 もちろん、作っている会社は違うし、発売時期も何ヶ月かずれているので、2つを並べて考えるのはおかしいかもしれない。 しかし、「SILENT HILL」をクリアした直後に「DINO CRISIS」を遊び始めて、非常に対照的な印象を持った。 「SILENT HILL」に対しては、極めて高い評価を下したいと思う。 プレイしていて楽しかった。 一番印象に残っているのは、その謎解きの楽しさだった。 中学生2年生の時だったか、私はFM−7用のFDDを買ってもらった。 当時、レンタルソフト屋が堂々と店を開いていて、しばしばそこでアップル用アドベンチャーゲームの移植版を借りてきて遊んだものだ。 いま思うと、あんなつまらない物をよく遊んだなあ、と思うのだけど、やっぱりあの頃はそれなりに楽しかった。 ストーリーは陳腐この上ないが、局面局面の謎解きを考えるのが楽しかった様な記憶がある。 なんとなく、「SILENT HILL」の楽しさっていうのは、あれに似たところがあるのかなあ、と考えていた。 しかし、「DINO CRISIS」を遊んでいて、圧迫感というか、非常にストレスフルなものを感じて、「SILENT HILL」の素晴らしさがまた際だったような気がする。 というのも、「SILENT HILL」では先に進みたくないな、という感覚に襲われたことは一度もなかったからだ。 「DINO CRISIS」はまだ遊び始めて2時間といったところなので、深い言及は避けたいと思う。 ここでは、なぜ「SILENT HILL」にはストレスを感じなかったのか、ということを考えたい。 画面から受ける印象という意味に於いては、「SILENT HILL」はとてつもなくストレスフルだ。 視界は常に、もやがかかっているか暗闇である。 しかも、闇の世界側に話が移行すると、血なのか錆なのかわからないような、赤っぽい色合いが画面を埋める。 ちょっといやな感じだ。 ただ画面を見るだけで、プレイヤーは強いストレスを感じる。 しかし、プレイしているとわかるのだが、ちゃんとそれが負荷になっているということに作り手が気づいている。 プレイヤーを必要以上に脅かさないように注意しているのだ。 私が演出を担当していたら、もっと突然敵が現れるような仕掛けを一杯作ってしまったに違いないし、そうしていたらきっとダメな作品になってしまっただろう。 以前にも書いたことがあるが、私が思うにプレイヤーというのは、次に何をしたらいいのかハッキリしていないと、すごく不安なものだ。 かといって、あからさまに「ここへ行け、あそこへ行け」といわれると、お使いゲーじゃんってな事になってしまう。 そこには不安と達成感のトレードオフがある。 「SILENT HILL」では、プレイヤーがあちこち歩いているうちにイベントに遭遇するように見えて、実は確実に誘導しているのだ。 マップにヒントを書き記したり、道をふさいでしまうといった露骨な手法も使われている。 私はこれが正解だったように思う。 プレイヤーに与えるトータルの負荷を捉えたとき、不安を取り除く方向にバランス取りしたのは、意図的なものだったろう。 「SILENT HILL」というゲームの持つ、独特のストレスを考えに入れているに違いない。 そう、私は思う。 どこまでプレイヤーに負荷を強いていいのか、それを考えることが必要なんじゃないかって事を。 プレイヤーは弱い。 いつだって投げ出してしまう可能性を秘めている。 そして、私もまた、「DINO CRISIS」を投げ出したい衝動に駆られている。 <注意> 「ストレスフル」という英語は存在しません。 和製英語です。 いや、和製英語になっているかどうか怪しいかも。 |