スーパーマグネチックニュウニュウ、ゼルダの伝説〜ムジュラの仮面〜

ゲームの難しさ(1)〜なぜ難しくなったのか〜 2000_09_10

 

『スーパーマグネチックニュウニュウ』に一区切りが付いた。
このゲームをクリアしたあとも、私はプレイし続けていたのだ。
ここまで関わり合いになってしまったからには、パーフェクトエンドを見ないわけにはいかなかったのである。
仲間達にパイを投げつけられるエンディングを眺めながら、「ようやく終わったんだ」という感慨に浸っていた。
私は楽しむことが出来た、と胸を張って言える。

しかし、その反面、どうしてゲームってこんなに難しく作られるようになってしまったんだろう、という疑念に包まれてもいた。
『スーパーマグネチックニュウニュウ』というゲームは、私がこれこそがこのゲームの面白さだ!と思う、ジバギミックを使ったものよりも、足場に負荷をかける仕掛けが多すぎるのだ。
足場が狭い、滑る、動く、落ちる。
その足場を使ってのダッシュジャンプの多用。
なんで?、そんなの必要なん?、と思うことがしばしばあった。
実際、ドリームキャストマガジンの読者レースでも、下から3割ぐらいに位置するといった有様なのだ。
私は一年ぶりくらいに読んでさすがにビックリした。
まあ、おそらくは楽しむ前に嫌気がさしてしまったのだろうと推測する。

さらに、ここ何日か強化週間として取り組んでいる『ゼルダの伝説〜ムジュラの仮面〜』も、うげぇ!ってくらい難しいのである。
攻略本を見ながらのプレイなのだが、果たして買ったばかりの頃の新鮮な気持ちをもってしてもクリアできたかどうか自信がないのだ。(既に挫折してます。でも、これがクリアできなくても、世界一のゲーマーの資格を剥奪されるって事はないでしょ?えっ、ダメですか!?)

どうしてこんなにゲームは難しくなってしまったんだろう?
難しさの質は違えど、この2本ともに共通する何かがあるんじゃないだろうか?
私は考えざるを得なかったのだ。

考えた結果、答えはやはり自分のプレイの中にあった。
私は『スーパーマグネチックニュウニュウ』を一通りクリアした時点で、本当は止めるつもりだったのである。
『ムジュラの仮面』だって、きっとそうなるだろう。
つまり、一回クリアしたゲームは2度とプレイしない。(よほどお気に入りにならない限りは)
これは私だけのことではないと思う。
それ故にゲームを創る側は、一回のプレイで支払った対価に見合った満足感を持ってもらおう、という立場に立たざる得なくなるといえるのではないだろうか。
その結果、ゲームは簡単にクリアできないように難しくなる。

では、どうして一回しかクリアしなくなったのだろうか?
おそらく、クリアするということに目標を置いているからだ、というのが端的な答えになると思う。
しかし、もう少しつっこんで考えると、こんな風に言えるのではないか。

「プレイから得る喜び」>「プレイの負荷」

この関係が成り立っているうちは、プレイヤーはプレイを止めないはずである。
「プレイから得る喜び」は概ねプレイする度に減少していくはずだが、必ずしも一回のクリアでこの関係を満たすはずはない。(←間違い。「この関係を外れるわけではない」が正しい。2002_11_30)
私は高校生の頃、『スナッチャー』というゲームを10回ぐらいプレイしたことがある。
アドベンチャーゲームだから、筋を知ってたらプレイしても意味ないのに。

やはり昔とは違う、新しいファクターが登場していると私は想像する。
それはこんな要素だ。

「他から得る喜び」>「プレイから得る喜び」

この関係が成立しても、やはりプレイヤーはプレイを止めてしまうことになる。
私がいつも書いている「他のラクで楽しいもの」のことである。
そして、実はその中に現在プレイしている以外のゲームも加わってしまう。
子供達を含めた私達が、妙に小金持ちになってしまった結果、一本のゲームをとことん楽しむ事が出来なくなっている、という側面もあるのではなかろうか。(私だけ?)
普段ゲームを買わない人の方が、たまに買ったゲームを深く楽しめたり、なんて事はよくありそうである。

結局のところ、ゲームは難しくなっていいのだろうか?
例え多くのプレイヤーを排除する結果となっても。

私はいけないと思う。
よほど開発費が小さく取れる場合は別として、素晴らしいゲームはたくさんの人に触れられて、それによって得られた資金によって、更に素晴らしいゲームが創られるべきだからである。

やはり如何にしてリプレイを稼ぐか、そこに注力すべきなのだと思う。
ただ闇雲に難しさを追いかけない。
プレイヤーにクリアーする喜びを提供していく。
その上で、さらなるプレイを引き出す努力をする。
そういうゲーム作りが望まれるのでないだろうか。
私達を取り巻く環境まで、ゲームの作り手に変えられるはずもないのだが。


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