Dokuro_2

身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ 2012_08_06

 

人間は釣り合いを考える生き物である。
女性を見るにも自分との釣り合いを考えるでしょ。
あまりにも綺麗すぎると声は掛けられないし、極端に家柄が違いすぎると結婚は考えられない。
同じ人間同士ですら釣り合いを考えるのに、魔物とお姫様ってどうなのよ?
助けるのはいいとして、その後どうするんだろう?
それが『Dokuro』をプレイし始めたときに私が思った素朴な疑問である。
この話を書くには当然エンディングに触れなければならないので、これからプレイするつもりのある方は続きを読んではいけません。


魔王にさらわれてきたお姫様が可哀想になって、主人公のドクロは魔王の城からお姫様を逃がしてあげようとする。
でも、お姫様にはドクロが見えないし、触れない。
イケメン状態になったときだけ実体化できる、という設定らしい。
それはいわばルールである。
つまり、一定時間しかお姫様をだっこできない、敵を攻撃できない、というアクションパズルゲームにおける構成要件なのだ。
言葉でストーリーをほとんど説明しないこともあって、まあ、特別意味はないんだろうな、と思って私はプレイを進めてきた。

ところが、最後になって事情は変わった。
実はドクロは元王子様だったのである。
他人を誰も信じられないが故に、誰にも見えない呪いをかけられた王子様。
自分がかつて王子様だったことすら忘れてしまったドクロ。
呪いを解くには、無私の境地に至らねばならないのに、それにも気づかない。

最後にドクロは力尽きて笑う。
別にお姫様を自分のものにしようなんて思ってない。
ただ可哀想なお姫様を助けたかっただけ。
助かってホントに良かった。
俺は死んでもいいんだ。
ドットで描かれた小さなドクロの笑顔がそう言っていた。
そのとき呪いは解け、王子様は自分を取り戻す。
まさに、身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ。
物語がスッと胸に納まった。
感動したな。
結局、ゲームシステムを上手く物語に吸収して見せたってことなんだろう。
元王子様だから、お姫様とくっついても違和感はないしね。

このゲーム、エンディング見なかったら、やけに難しいアクションパズルゲームだったという印象しか残らないかもしれない。
やっぱり幕引きは大事だ。
エンディングなしでは、ここまで好印象は持てなかったに違いない。


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