人間は釣り合いを考える生き物である。 女性を見るにも自分との釣り合いを考えるでしょ。 あまりにも綺麗すぎると声は掛けられないし、極端に家柄が違いすぎると結婚は考えられない。 同じ人間同士ですら釣り合いを考えるのに、魔物とお姫様ってどうなのよ? 助けるのはいいとして、その後どうするんだろう? それが『Dokuro』をプレイし始めたときに私が思った素朴な疑問である。 この話を書くには当然エンディングに触れなければならないので、これからプレイするつもりのある方は続きを読んではいけません。 魔王にさらわれてきたお姫様が可哀想になって、主人公のドクロは魔王の城からお姫様を逃がしてあげようとする。 でも、お姫様にはドクロが見えないし、触れない。 イケメン状態になったときだけ実体化できる、という設定らしい。 それはいわばルールである。 つまり、一定時間しかお姫様をだっこできない、敵を攻撃できない、というアクションパズルゲームにおける構成要件なのだ。 言葉でストーリーをほとんど説明しないこともあって、まあ、特別意味はないんだろうな、と思って私はプレイを進めてきた。 ところが、最後になって事情は変わった。 実はドクロは元王子様だったのである。 他人を誰も信じられないが故に、誰にも見えない呪いをかけられた王子様。 自分がかつて王子様だったことすら忘れてしまったドクロ。 呪いを解くには、無私の境地に至らねばならないのに、それにも気づかない。 最後にドクロは力尽きて笑う。 別にお姫様を自分のものにしようなんて思ってない。 ただ可哀想なお姫様を助けたかっただけ。 助かってホントに良かった。 俺は死んでもいいんだ。 ドットで描かれた小さなドクロの笑顔がそう言っていた。 そのとき呪いは解け、王子様は自分を取り戻す。 まさに、身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ。 物語がスッと胸に納まった。 感動したな。 結局、ゲームシステムを上手く物語に吸収して見せたってことなんだろう。 元王子様だから、お姫様とくっついても違和感はないしね。 このゲーム、エンディング見なかったら、やけに難しいアクションパズルゲームだったという印象しか残らないかもしれない。 やっぱり幕引きは大事だ。 エンディングなしでは、ここまで好印象は持てなかったに違いない。 |