私はいつも「喜び」というあいまいな概念を用いてゲーム話を書いている。 喜びにはいろいろな種類があって、これを特定すると論理に破綻が生ずるおそれがあるから、あまり厳密に定義したくないのだ。 こういう場合、効果に着目して逆から定義するとイイかもしれない。 喜びを感じているからプレイヤーがゲームするのだとすれば、喜びとはゲームをしたくなるような感覚である、と定義してみてはどうか。 過去に書いてきたもの全てに、この定義が適用できるかどうか定かではないが。 ところで、『流行り神3』にはデータベースがある。 ようするに語句解説のことだ。 単なる言葉の説明にとどまらず、その言葉にまつわる話も書いてあるから、なかなか知識欲をそそられる作りになっている。 私はデータベースを読むのが大好きだ。 もっとも好き嫌いにかかわらず、多くの人がデータベースを埋めをやらされることになるだろう。 なんといっても、このデータベースはおまけシナリオ出現のフラグになっているのである。 それもきつい。 最後のやつなんか、全部埋めないと出てこないのだ。 一つでも残したらダメ。 この週末は攻略wikiを参考にしつつ、テレビ見たり、ネットを見ながらデータベース埋めをやる羽目になった。 データベース埋めやってて思うのだが、非常に良くないな。 何が良くないって、残りが少なくなればなるほど、かかる時間に対して喜びが小さくなっていく。 最初はいいんだ。 どんどん見つかるから。 最後の一個を探すのに、手間がかかることかかること。 攻略wikiがなかったら、あれ一人で出来るんだろうか? おそらく既読率100%にする勢いでやらないとダメだろうな。 バッドエンドまで全部つぶす必要がある。 おまけシナリオがあると思うからがんばるけど、本来であれば、もうこれ以上ゲームを続けたくない、と思うほど喜びの期待値が小さくなるポイントにいずれは到達するはずだよな。 創り手はそうならないように、残りが少なくなればなるほど、負荷を軽減する必要があるんじゃないか。 今回の『3』では、分岐ツリーをさかのぼることが出来るようになっているため、今までに比べれば負荷は小さくなっている。 しかし、単位時間あたりの喜びの逓減に対して、それに対応する形で負荷を減らす、という仕組みになっているわけではない。 ここに新しいシステムを導入することが出来たら、これは画期的だな。 今のところは、そのポイントまで来たらプレイヤーは攻略wikiを見るより他にないわけである。 アドベンチャーゲームという分野を何とかしてゲームたらしめようと頑張っている日本一ソフトウェアなら、あるいは何か良いアイディアを出してくれるのではないかと期待するのだが、さてどうか。 あんまり売れないアドベンチャーというジャンル的に考えて、それはシステマティックでなければならない。 人手をかけていいなら、いくらでもやりようはあるのだが、システマティックにやるとなると、これは結構難しい話である。 期待するのは私の自由だけど。 |