大神伝 〜小さき太陽〜

無理めのバランス 2010_10_17

 

近頃のゲームって、創り手の工夫が感じられない。
ここでいう工夫ってのは負荷のデザインの話じゃなくて、画面処理のごまかし方の話である。
SFCやPS時代ってのは、処理能力が低いマシンで如何に凄いことをやってみせるか、あるいはやっているように見せかけるか、を競っていたものだ。
処理能力が限界でも、普及してるマシンで作るしかないからな、営業的には。
いまは処理能力が上がったし、ゲーム作りがシステマチックになったから、誤魔化すテクニックを磨くような時代じゃないのかもね。
今の方がやってることは凄いのかもしれないが、「ああ、頑張ってるねぇ」っていう感じが伝わってこなくなったな。

しかしながら、よく考えてみたら今もっとも活発なプラットフォームは依然としてDSなわけで、無理めのゲームが出てくるのも不思議ではなかった。
近頃DSで発売された『大神伝 〜小さき太陽〜』はそんな無理めのゲームである。

例によってあんまり説明するつもりはないんだけど、やってみた印象としては「和風ゼルダ」という感じである。
タッチペンで筆調べをやるのも、そんなに目新しさは感じない。
太陽の神様である天照大神の「大神」を「狼」と解釈して、狼に置き換えてみたのかな?
前作の『大神』をやってないから、あんまりよくわからないが。
ちょっとメンド臭い感じもゼルダっぽかったな。

このゲームで私が一番強く感じたのは、ちょっと無理めだなってことだった。
DSで広いフィールドの3Dって能力的に限界があるんだろうね。
キャラクターは極めてローポリゴンだし、フィールド移動に画面切り替えがある。
少し離れたところのオブジェクトは表示出来ない。
処理能力以前にメモリの問題があるのかな。
コンシューマーの世界では別に悪いことではないんだけど、敵が2体も出てくると処理落ちするあたり、そもそもDSでやろうとすることに無理があるんだろうな、と思わされるゲームである。

一方で、上手くまとめてるな、とも思う。
輪郭線に強弱をつけた筆タッチのデザインとローポリゴンがマッチしているおかげで、まあ何とか普通に見られる程度にはなっている。
主人公が子供の神様なら相棒も子供で、ちょっとユーモラスなやり取りをさせているところも、処理能力の低さをごまかすのに役立っているかもしれない。
見た目がショボイのに序盤からシリアスな展開にすると、よりショボく感じるかもしれないからね。
ムービーシーンのテンポが遅くて私はイライラしたけど、全体的にテンポも遅めにしてたんじゃないかな、おそらく。
一部分だけ早くすると、他のシーンで処理の遅さが目立つから。

全体としてみればバランスはとれている。
そんなに悪くない。
むしろ、頑張ったねっていう印象だ。
処理能力の低さを上手くごまかした、創り手の努力が伺える作品だったな。


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