近頃のゲームって、創り手の工夫が感じられない。 ここでいう工夫ってのは負荷のデザインの話じゃなくて、画面処理のごまかし方の話である。 SFCやPS時代ってのは、処理能力が低いマシンで如何に凄いことをやってみせるか、あるいはやっているように見せかけるか、を競っていたものだ。 処理能力が限界でも、普及してるマシンで作るしかないからな、営業的には。 いまは処理能力が上がったし、ゲーム作りがシステマチックになったから、誤魔化すテクニックを磨くような時代じゃないのかもね。 今の方がやってることは凄いのかもしれないが、「ああ、頑張ってるねぇ」っていう感じが伝わってこなくなったな。 しかしながら、よく考えてみたら今もっとも活発なプラットフォームは依然としてDSなわけで、無理めのゲームが出てくるのも不思議ではなかった。 近頃DSで発売された『大神伝 〜小さき太陽〜』はそんな無理めのゲームである。 例によってあんまり説明するつもりはないんだけど、やってみた印象としては「和風ゼルダ」という感じである。 タッチペンで筆調べをやるのも、そんなに目新しさは感じない。 太陽の神様である天照大神の「大神」を「狼」と解釈して、狼に置き換えてみたのかな? 前作の『大神』をやってないから、あんまりよくわからないが。 ちょっとメンド臭い感じもゼルダっぽかったな。 このゲームで私が一番強く感じたのは、ちょっと無理めだなってことだった。 DSで広いフィールドの3Dって能力的に限界があるんだろうね。 キャラクターは極めてローポリゴンだし、フィールド移動に画面切り替えがある。 少し離れたところのオブジェクトは表示出来ない。 処理能力以前にメモリの問題があるのかな。 コンシューマーの世界では別に悪いことではないんだけど、敵が2体も出てくると処理落ちするあたり、そもそもDSでやろうとすることに無理があるんだろうな、と思わされるゲームである。 一方で、上手くまとめてるな、とも思う。 輪郭線に強弱をつけた筆タッチのデザインとローポリゴンがマッチしているおかげで、まあ何とか普通に見られる程度にはなっている。 主人公が子供の神様なら相棒も子供で、ちょっとユーモラスなやり取りをさせているところも、処理能力の低さをごまかすのに役立っているかもしれない。 見た目がショボイのに序盤からシリアスな展開にすると、よりショボく感じるかもしれないからね。 ムービーシーンのテンポが遅くて私はイライラしたけど、全体的にテンポも遅めにしてたんじゃないかな、おそらく。 一部分だけ早くすると、他のシーンで処理の遅さが目立つから。 全体としてみればバランスはとれている。 そんなに悪くない。 むしろ、頑張ったねっていう印象だ。 処理能力の低さを上手くごまかした、創り手の努力が伺える作品だったな。 |