『DEATH STRANDING』。 これは是非知っておきたいゲームだった。 今年一番の話題作と言ってもイイぐらいからね。 しかし、フラゲ情報でムービーが長いらしいと分かって尻込みしていた。 だって、オープニングで1時間、エンディングで2時間、その合間合間にもムービーたっぷり、なんてあり得ないよ。 今の世の中、ムービーはご褒美にならないどころか、むしろマイナスにすら感じられるぐらいなのに。 今の私には絶対無理に決まっている。 これはもう諦めるしかないと思ったのである。 その後いろいろ情報を拾っていくと、ちょっと事情が違うのかな、と思うようになった。 なんでも、最後のムービーを観るまでストーリーはよく分からないらしい。 ということは、大半の人は分からないままゲームを進めていることになる。 だったらムービー観なくてもイイじゃん。 全部飛ばしてもエンディング直前までプレイ感は変わらないはず。 だったらプレイしてもいいか、と思い直した。 飛ばせるムービーは全て飛ばす。 その上でとりあえずは、ケビン・コスナーの映画「ポストマン」を念頭に置きつつプレイすればいいだろう。 やってみたら、そう悪くないプレイ感ではあった、『DEATH STRANDING』は。 荷物を運ぶことだってゲームなんだから、それをテレビゲームに持ち込んだっておかしくはない。 しかも、「誰かの役に立つ事」を使って喜びを増幅させているあたりは、素晴らしい着眼だと思うな。 人間ってのは他人がいて初めて自分が分かる生き物だからね。 しかも、ストーリー上と現実と両面で人の役に立つ仕組みを導入しているあたりは、極めてテレビゲームらしい。 得をすることがシステムに組み込まれていてこそテレビゲーム。 この辺はさすがだと思ったな。 もっとも、私はもう第2章でギブアップだけど。 ムービー全部飛ばしてるから、運ぶことの意味が全く分からないのである。 誰がどう喜んでくれるのかも分からない。 つまり喜びを増幅させる仕組みが私には働かないのだ。 これは私が悪いのでやむを得ない。 この点に関しては『DEATH STRANDING』に非はないであろう。 強いて言うなら、やはり時間に対する感覚がずれてるのかなとは思う。 現時点では戦う方法がなく、とにかく逃げるしかないのだが、遠回りしたら余計に時間がかかるでしょ。 そしたら、その分何か喜びが得られないと釣り合わないよね。 戦闘を回避したからと言って、それが必ずしも喜びにつながるわけじゃない。 だって戦闘そのものが楽しい場合だってあるわけだから。 遠回りして何が楽しいのかがよく分からなかった。 その辺はプレイヤーに時間を使わせることにちょっと無頓着すぎるのかな。 ムービーが長すぎるのもそう。 ステルスゲームばっかり作ってた人だから、プレイヤーを待たせることにあまり抵抗がないのかもね。 |