DEATH STRANDING

他人がいて初めて自分が分かる 2019_12_20

 

『DEATH STRANDING』。
これは是非知っておきたいゲームだった。
今年一番の話題作と言ってもイイぐらいからね。
しかし、フラゲ情報でムービーが長いらしいと分かって尻込みしていた。
だって、オープニングで1時間、エンディングで2時間、その合間合間にもムービーたっぷり、なんてあり得ないよ。
今の世の中、ムービーはご褒美にならないどころか、むしろマイナスにすら感じられるぐらいなのに。
今の私には絶対無理に決まっている。
これはもう諦めるしかないと思ったのである。

その後いろいろ情報を拾っていくと、ちょっと事情が違うのかな、と思うようになった。
なんでも、最後のムービーを観るまでストーリーはよく分からないらしい。
ということは、大半の人は分からないままゲームを進めていることになる。
だったらムービー観なくてもイイじゃん。
全部飛ばしてもエンディング直前までプレイ感は変わらないはず。
だったらプレイしてもいいか、と思い直した。
飛ばせるムービーは全て飛ばす。
その上でとりあえずは、ケビン・コスナーの映画「ポストマン」を念頭に置きつつプレイすればいいだろう。

やってみたら、そう悪くないプレイ感ではあった、『DEATH STRANDING』は。
荷物を運ぶことだってゲームなんだから、それをテレビゲームに持ち込んだっておかしくはない。
しかも、「誰かの役に立つ事」を使って喜びを増幅させているあたりは、素晴らしい着眼だと思うな。
人間ってのは他人がいて初めて自分が分かる生き物だからね。
しかも、ストーリー上と現実と両面で人の役に立つ仕組みを導入しているあたりは、極めてテレビゲームらしい。
得をすることがシステムに組み込まれていてこそテレビゲーム。
この辺はさすがだと思ったな。

もっとも、私はもう第2章でギブアップだけど。
ムービー全部飛ばしてるから、運ぶことの意味が全く分からないのである。
誰がどう喜んでくれるのかも分からない。
つまり喜びを増幅させる仕組みが私には働かないのだ。
これは私が悪いのでやむを得ない。
この点に関しては『DEATH STRANDING』に非はないであろう。

強いて言うなら、やはり時間に対する感覚がずれてるのかなとは思う。
現時点では戦う方法がなく、とにかく逃げるしかないのだが、遠回りしたら余計に時間がかかるでしょ。
そしたら、その分何か喜びが得られないと釣り合わないよね。
戦闘を回避したからと言って、それが必ずしも喜びにつながるわけじゃない。
だって戦闘そのものが楽しい場合だってあるわけだから。
遠回りして何が楽しいのかがよく分からなかった。
その辺はプレイヤーに時間を使わせることにちょっと無頓着すぎるのかな。
ムービーが長すぎるのもそう。
ステルスゲームばっかり作ってた人だから、プレイヤーを待たせることにあまり抵抗がないのかもね。


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