DEAD SPACE PS3北米版

甘んじて受け入れるだけの価値はある 2010_10_03

 

置き換えの同一性について、今まで私は何度も書いてきた。
DS・Wii世代では非常に重要なファクターだったからだ。
しかし、置き換えの同一性の話をすると都合の悪い場合もある。
それは、置き換える行為が反社会的であった場合、それが面白いのであれば、置き換え元の行為にプレイヤーが喜びを感じていることにもなるからである。
とはいえ、都合の悪いときには同一性の議論を適用せず、都合のいい時だけ適用するのはあまりにも卑怯。
私はそれを認めることが出来ない。
従って、反社会的な内容を喜びであると捉えるようなゲームは、同様の内容を含む映画なんかより悪い社会的評価を受けることがあってもやむを得ないと私は思っている。
自分で操作している分、観るだけより質が悪いという評価はあり得るだろう。
どうしてもやりたいのであれば、それは甘んじて受け入れる必要がある。
逆に言えば、受け入れる覚悟があるならプレイしてもいいのではないか。


相変わらずやりたいゲームが見あたらないので、ちょっと毛色の変わったところで、PS3北米版の『DEAD SPACE』をプレイしてみた。
これは2008年に発売された作品だが、日本では未だに発売されていない。
どうもZ指定ですら駄目という判断だったようである。
日本で発売されていないんだから、さすがに少し説明した方がいいのかな。
大雑把に言えば、「バイオハザード4」の舞台を巨大な宇宙船にして、ゾンビを人間の死体を使って増殖する「エイリアン」に置き換えたような感じ、といえばそんなに外れていないように思う。
絵的には映画の「エイリアン」に近いんじゃないか。
まあ、端的に言って、ゲロゲロのグログロ。
発売見送りになったのはグロいからじゃなくて、モンスター化していない人間の死体も攻撃出来ちゃうからのような気がするけど。

このゲーム、残虐表現に合理性を持ち込んでいるところが珍しい。
どういうワケか欧米の人はいわゆる部位破壊ってヤツが大好きらしくて敵をバラバラにしたい、あるいは自分もやられるときはバラバラになりたい?と思うようである。
で、胴体を攻撃するよりも、手足を狙ってバラバラにしてやった方がダメージが大きいように創られている。
ゲームの構成として考えれば、狙いやすい胴体よりも、狙いにくい手足の方に大きなダメージを与えても不思議ではないけどね。
難易度が高い方により大きな成果を与えるのはごく普通のことだから。
そこまでしてバラバラにしたいのか、という気はするが。

ただ、バラバラにするってのも世界観全体としてみると、そんなに悪くはない感じはした。
基本的に絶望的な空間なんだよな、この宇宙船の中って。
脱出するったって地球は遙か彼方だし、空気がなくなったら終わりだし、人間はどんどんエイリアン化していくし、自分もなんか調子悪いし、どうしようも無いじゃんっていう空間に主人公はいる。
自殺したと思われる死体もあれば、モンスター化する前に殺してあげたんだろうと思われる死体も転がってるようなところだよ。
そんな死体でもひょっとすると動き出すかもしれないから、一応踏んどく?みたいな気持ちになることもあるな。
倫理的にバラバラにすることが問題あるよ!って感じない。
追い詰められてるんだから。
むしろ情け容赦ない世界なんだって感じがして、バラバラにすることも統一のある世界観の一部になっているように思う。
このゲームをやってるともの凄く感情を揺さぶられるんだけど、たぶん世界観に統一があるから没入感も強いんだろうな。

これはさすがに面白かった。
海外で、あるいは日本のごく一部で話題になっただけのことはある。
別に楽しんで遺体をバラバラにしてるわけじゃないから、プレイしてもそんなに悪くはないだろうと思うけどな。
同一性の観点からすれば、むしろ問題ないのではないか。
たとえこのゲームをやって偏見のまなざしで見られるとしても、私は別に構わないな。
批判を甘んじて受け入れるだけの価値がある作品だと私は思っている。


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