ゲームにはプレイヤーの寄与がある。 だからゲームが面白いとき、そこにはプレイヤーの貢献が幾らかはあるし、逆に面白くないときにはプレイヤー側に幾分かの責任はある。 そこに気付けば、ゲームの悪い話はあんまり書きたくないはずだ。 それは要するに、自分がゲームを楽しむ能力を持ち合わせていなかったと、わざわざアピールすることに他ならないからな。 だがしかし、たまには文句も言ってみるもんだ、と思うことはあった。 『大逆転裁判2 -成歩堂龍ノ介の覺悟-』は、非常によく出来ていたし、面白かったのである。 『1』は極めて気の毒な作品だった。 あの未完バッシングは酷かったでしょ。 未完だから悪いなんてことは決してないし、未完であることを前もって明らかにしなかったから悪いということもない。 最初から手の内をばらすなんてことはあり得ないよ。 そんなことを言い出したら、創作の余地が狭まって、究極的には我々プレイヤーが損をするだけである。 ただし、内容には文句があった。 私が一番気に入らなかったのは、見え見えのミスリードに乗っかって、いったん間違った方向で逆転しておいて、また逆転、更にまた逆転、を演出しているところだった。 自分は答えが見えているのに、いったん間違った方向へ行かされるのが酷くイヤだったし、その度にナルホドくんが大げさに倒れるのが腹立たしかった。 『2』ではここが改善されていた。 無理に逆転逆転また逆転を意識したつくりにはなってなかったな。 間違った方向に進むのではなく、真実に少しずつ近づいていくように進行するのが良かった。 話の流れがスムーズに感じられたな。 もちろんおかしなところは一杯あるんだけど、それを言い出したら逆裁シリーズはそもそも全部おかしいんだから、そこは目をつぶってしかるべきだろう。 今回『1』で謎だった部分が見事に全部回収される。 『1』の事件って不完全燃焼なお話が多い印象だったが、それにも全部意味があったんだ。 なかなか巧みな構成だなと感心させられる。 だが、大まかなプロットは最初から出来ていたんだろう。 文句を言われたから直したとは思えない。 一方で逆転に拘らない裁判パートの流れには、それなりにユーザーの意見も反映されているのかな、という気はする。 明らかに違うよ、『1』の時とは。 そこをあっさり目にした分、謎解きの方はむしろ強化されていて、歯ごたえはあった。 終わったときの満足度は高かったな。 逆転逆転を演出するということは、創り手の寄与分が大きくなることを意味していて、謎解きを充実させるということはプレイヤーの寄与分が大きくなることを意味しているわけだから、当たり前と言えば当たり前の話だが。 プレイし終えた直後には最初から一つの作品として世に出ていれば、評価的にも営業的も良かっただろうに、と思った。 しかし、『1』が滅多打ちにされなかったら、『2』がこういう形にはなっていなかったかもしれない。 だから、これで良しとすべきなんじゃないかな。 創り手が上手く汲んでくれるなら、文句を言うのも悪くないのかもね。 |