バテンカイトス2_3

心の時代と文明批判 2006_03_20

 

『バテン・カイトス2』をプレイし始めてすぐのことである。
私は「あれ?」と思った。
ダッシュの説明をするところで、「心が折れる」という表現が出てきたからだ。
高々ダッシュの説明程度のことで「心が折れる」なんてのは、ちょっと大げさなんじゃないか。
「バテン・カイトス」の世界には、「心の翼」という特徴的な要素があるにしても。
何かテーマに織り込んでくるつもりなんだろうな、と予想はしていた。

ところで、言葉や表現ってのは陳腐化する。
世の中の人が手前勝手に使い始めると、インパクトがなくなってくるんだな。
『バテン・カイトス2』のストーリー上のもっとも大きな要素である「マキナ(機械)化」は、たぶん一種の文明批判だと思うのだが、それ自体はなんだかつまらない。
ありふれている。

ところが今回『2』では、マキナ化の前に、心偏重の時代があったんだ、という事になっている。
心があれば体なんかいらないじゃない、というのである。
あれは面白いな。
精神的な要素をマイナス面として扱うのって初めて見たわ。
もちろんそれは、「マキナ化」の反対要素として使われているに過ぎないのであって、それ自体を描きたいわけではないのだろうが。

あれをメインテーマに据えてしまったら答えが出ない。
心があれば体なんかいらない、という主張が間違っているとは誰にも言えないからね。
きっと振り子を大きく振るために、反対側に大きく引っ張ったんだろう。
単なる文明批判なんてのは面白くないもんな。

そうすると、これがまた上手いことに、「バテン・カイトス」の世界観の根幹である「マグナス」と符合する。
マグナスっていうのは、物事のエッセンスを抽出できるのだ。
心だって抽出できるでしょ?って考えたんだろう。
もし『2』になって後付けで考えたんなら、「閃いた!」って感動しただろうね、思いついたときには。
また更に、それをプレイヤーたる精霊(ホントは違うけど)の存在と絡めてまとめ上げてる所なんか素晴らしい。

このゲーム、「マキナ化」だけで捉えると凄く易いお話なんだけども、プレイしていてそこいら辺はあまり気にならなかった。
なるほど、上手いな、と思わせる持って行き方だったな。






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