今頃になって『クライマックスランダース』をクリアした。 発売元はセガだが、開発は内藤寛率いるCRIMAXが担当しているゲームだ。 ゲームを終えて私は、一応の満足感を持ってはいる。 ただ、もう少し何とかならなかったのかなあ、とも思うのだ。 ここではゲームの紹介をするつもりはないので詳しいことは書かないけど、シナリオもゲームシステムも、練り込み次第では大化けしそうな気がする。 今のままでは、「セガの要請によって、ラインナップを揃えるために突貫工事で作った」という批評をされても致し方あるまい。 MDユーザーの誇りともいうべき『ランドストーカー』のキャラを安売りしてしまった感がある。 発売から随分と時間が経ってしまっているし、『グランディア2』のあとにプレイしてしまったという不幸はあるが・・・。 私はこのゲームをプレイしながら、内藤寛という人物について考えていた。 「内藤寛」という名前は、セガファンにとって特別な名前ではなかっただろうか。 私がこの名前を認識したのは、『Shining and the Darkness』というMDで発売された3D迷宮型RPGのエンディングを見たときである。(大変面白いゲームだった。オートマッピング付きRPGは当時目新しかったのではないだろうか) 私の記憶に間違いがなければ、エンディングテロップの最後で、木目調の看板に書かれた「内藤寛」という名前を見た覚えがある。(監修という形だったと思うが) その後に、『ランドストーカー』というヒット作を手がける事になるのだ。 このゲームは『シャイニングフォース』などと比べて、MD本体がたくさん売れたゲームだといわれている。 当時のSFにはない、技術的に見ても凄いし、斬新なゲームであった。 その辺が「MDユーザーの誇り」という由縁である。 ちょろっと聞いた話では、内藤寛という人物はドラゴンクエストシリーズのプログラマーで、彼が途中で抜けたために開発が滞った、などという逸話が残っているそうである。 本当かどうか知らないが、その頃まだ高校生だったとか。 それほどの人物でありながら堀井雄二氏などと比べて知名度が低いのは、以前書いたことがあるけど、やはりプログラマーという職種の地位がそのころ既に落ちていたからであろう。 しかし、かつてSSが発売されるときまで遡るのだが、私はセガ陣営にこの人物がついていると知って、大変嬉しかったのである。 あの頃はSSによってセガの天下が来ると思いこんでいて、内藤寛という著名なクリエイターがセガ陣営につくということを単純に喜んでいた。 今考えると、どうしてあんなに喜んでいたのだろうと思うのだけれど、同じ内藤寛氏のインタビュー記事を何回も繰り返し繰り返し読んで、ほくそ笑んでいた覚えがある。 そんな内藤寛氏であるが、どうもSS以降、思いのほか冴えない気がする。 こぢんまりゲームを作りすぎているんじゃないだろうか。 自分の会社で出来る範囲のことだけやっているという感じ。 もっと大きな開発資金を与えて、外部から招聘してでもいいから優秀なクリエイターとコンビを組ませてみたいと思うのは私だけだろうか? もっと素晴らしいゲームが創れるんじゃないだろうか? 私はかつて私が抱いた「内藤寛」という人物への期待を未だ捨てきれないでいる。 セガがコンシューマーの天下を取る、という夢は今のところ叶いそうもないのだが。 |