人であれ何であれ、生まれ出でたものは須らく死ぬ。 それはわかっている。 しかし、納得しているか、と言ったら、そうでもない。 死にたくはないよ。 そこに、矛盾のようなものがあるんだな、「死」には。 『DEATH’S DOOR』は上手かった、「死」を設定やストーリーに織り込むのが。 この点について書きたいのだが、これはもうこの物語の核になる部分なので、興味のある人ほど読まないことをお勧めします。 先にプレイしてください。 このゲームの主人公はリーパーである。 リーパーというのは魂の取立屋みたいな職業。 後にわかるのだが、我々がイメージする死神的なものの代わりに魂を回収する機構を創ったのが、自分の雇用主である扉の王だった。 主人公は魂回収機構に勤めるサラリーマンみたいなものらしい。 主人公は仕事の成り行きでビッグソウルと呼ばれる、死から逃れ続けている3人の魂を取りに行く。 その途中で、置き去りにされた、いわば先輩というべき者たちの魂を回収することになるのだ。 リーパーたちは現世にいると時間が進んで死んじゃうのに、扉を閉ざされて帰れなくなったと、そこで知るのである。 どうも雇用主である扉の王のせいらしい、と。 ということは、自分もそうなるのか、と思うでしょ。 悪いのは扉の王なのかも。 いずれ扉の王と戦わなきゃならないんだろうな、と思いつつプレイを進めることとなった。 実際、ビッグソウルと相対しても、彼らがそれほど悪いとは思えなかったな。 大切な人を死なせたくないと思ったり、自分が生きたいと思ったり、あるいは本能のままに生きることが悪いとは言えないだろ。 じゃあ、扉の王が悪いのか、といったら、そうでもなかったんだ。 彼には彼の言い分があって、別にそれが悪いとは言えない気がした。 ここがこのゲームの上手いところで、「死」には矛盾があるんだ。 当然死んで当たり前なんだけど、誰だって死にたくはない、というね。 だから誰も悪くないのに戦わなきゃならなくなる。 結果、何か変わったのか、といえば別に変らない。 生き物は最終的には死ぬわけだから。 カラスたちは扉の王を失って、自由を得る代わりに寿命を全うすることとなった。 それが良いか悪いかって話でもない。 ただ本来あるべき姿に戻るだけ。 一応、真エンドまでやったけど、何か結論があったわけではない。 種が一個足りなくて、フィールドを全部歩き回ったのに、特に何も得られなかった。 でも納得はしている。 「死」ってそういうもんだから。 このお話は、人間の気持ちの面では矛盾を抱えつつも、極めて高い説得力を持っているのである。 ホントに「死」をうまく扱った作品でした。 |