コンタクト

時計の針は戻らない 2006_04_30

 

ゲームは作り手と遊び手のハーモニー。
プレイヤーの内側に関する限り、共著作物といってもいい。
だから、これクソゲー!!とか書くと、私はクソゲーマーだ、と書くのと同じになるわけである。
したがって、ゲームの悪口なんてのは書きたくない。
出来ればゲームを楽しんだ話だけを書きたいものだ。
しかし、私はこれからDSで発売された『コンタクト』をプレイするのが苦痛だった、という話を書こうと思っている。
もちろん、恥を忍んでのことである。

『コンタクト』をプレイし始めてから、一時間ほどで私は最初のミッションをクリアした。
そして、セーブして電源を切った。
その後なかなか電源が入れられなかったな。
電源入れるのがイヤだったのである。
一月かかってやっと終わったけど、最後までずっとイヤだった。

あんまり細かく書きたくないんだけど、要するにゲームが古いのである。
FCとか、せいぜいSFC時代のゲームを再現したような感じだな。
上画面をショボくしたのは、おそらく意図的だろう。

きっとDSを利用しようと思ったんじゃないかな。
DSの機能を利用するのではなく、DSが起こしたムーブメントを利用する。
新しい機能を使うことでプレイヤーに大きな喜びを与えられるから、CGはショボくてもいいじゃん、っていう流れがあるから。
で、ついでに昔のゲームにあった七面倒くさい部分も一緒に織り込んだんだな。

しかし、私はこのゲームの狙っているところにあまり共感出来ないのである。
おそらくこのゲームは今どきの豪華絢爛一本道RPGに対するアンチテーゼみたいな気持ちで創られたんだろうが、私はこれまでのRPGが間違っていたなんて思ってない。
あれは我々が望んでああいう形にしてきたんだ。

RPGにゲームを織り込んだら、クリアできない人が出てくる。
クリアできるまでの時間がプレイヤーに依存すると、単位時間あたりの喜び量にバラツキが出てくる。
それじゃマスマーケット向けにならないから、極力プレイヤー全員を誘導する。
その代わり喜びをゲーム以外のところで担保しましょう、ということで、映像面が強化され、テンポも創り手の方で調整してあげるようになった。
そして、プレイヤーは大した事してないんだけど、なんかやったような気にさせるテクニックをゲームは磨いてきた。
私にはそれを間違っていたと否定はできない。
それなりに楽しかったもの。

いま問題になっていることは、そういう話じゃない。
費用対効果の問題なのである。
適度に綺麗な映像に慣れてきてしまったので、ちっとやそっとのことじゃ満足してくれない。
これからもイケイケドンドンでいいんですか?という話だ。
FFぐらい売れることがわかっていればいいけど、そうじゃないゲームの方が圧倒的に多いからね。
だから、DSやWiiが登場してきた。

しかしそれは、デバイスを換えることによって、より目新しい、そしてより大きな喜びを創り上げましょう、と言っているわけで、決してゲームが過去に戻ることを意味しているわけではない。
時計の針は決して戻らない。
時はより大きな喜びを求めて突き進んでいくだけだ。

私はどうも気に入らないんだ、この『コンタクト』って作品は。
DSを利用して、昔は良かったねって言ってるだけじゃないのか?


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