ゲームは作り手と遊び手のハーモニー。 プレイヤーの内側に関する限り、共著作物といってもいい。 だから、これクソゲー!!とか書くと、私はクソゲーマーだ、と書くのと同じになるわけである。 したがって、ゲームの悪口なんてのは書きたくない。 出来ればゲームを楽しんだ話だけを書きたいものだ。 しかし、私はこれからDSで発売された『コンタクト』をプレイするのが苦痛だった、という話を書こうと思っている。 もちろん、恥を忍んでのことである。 『コンタクト』をプレイし始めてから、一時間ほどで私は最初のミッションをクリアした。 そして、セーブして電源を切った。 その後なかなか電源が入れられなかったな。 電源入れるのがイヤだったのである。 一月かかってやっと終わったけど、最後までずっとイヤだった。 あんまり細かく書きたくないんだけど、要するにゲームが古いのである。 FCとか、せいぜいSFC時代のゲームを再現したような感じだな。 上画面をショボくしたのは、おそらく意図的だろう。 きっとDSを利用しようと思ったんじゃないかな。 DSの機能を利用するのではなく、DSが起こしたムーブメントを利用する。 新しい機能を使うことでプレイヤーに大きな喜びを与えられるから、CGはショボくてもいいじゃん、っていう流れがあるから。 で、ついでに昔のゲームにあった七面倒くさい部分も一緒に織り込んだんだな。 しかし、私はこのゲームの狙っているところにあまり共感出来ないのである。 おそらくこのゲームは今どきの豪華絢爛一本道RPGに対するアンチテーゼみたいな気持ちで創られたんだろうが、私はこれまでのRPGが間違っていたなんて思ってない。 あれは我々が望んでああいう形にしてきたんだ。 RPGにゲームを織り込んだら、クリアできない人が出てくる。 クリアできるまでの時間がプレイヤーに依存すると、単位時間あたりの喜び量にバラツキが出てくる。 それじゃマスマーケット向けにならないから、極力プレイヤー全員を誘導する。 その代わり喜びをゲーム以外のところで担保しましょう、ということで、映像面が強化され、テンポも創り手の方で調整してあげるようになった。 そして、プレイヤーは大した事してないんだけど、なんかやったような気にさせるテクニックをゲームは磨いてきた。 私にはそれを間違っていたと否定はできない。 それなりに楽しかったもの。 いま問題になっていることは、そういう話じゃない。 費用対効果の問題なのである。 適度に綺麗な映像に慣れてきてしまったので、ちっとやそっとのことじゃ満足してくれない。 これからもイケイケドンドンでいいんですか?という話だ。 FFぐらい売れることがわかっていればいいけど、そうじゃないゲームの方が圧倒的に多いからね。 だから、DSやWiiが登場してきた。 しかしそれは、デバイスを換えることによって、より目新しい、そしてより大きな喜びを創り上げましょう、と言っているわけで、決してゲームが過去に戻ることを意味しているわけではない。 時計の針は決して戻らない。 時はより大きな喜びを求めて突き進んでいくだけだ。 私はどうも気に入らないんだ、この『コンタクト』って作品は。 DSを利用して、昔は良かったねって言ってるだけじゃないのか? |