『The Last of Us Remastered』を開始した直後にぱっと見た感じ、どこいら辺が「Remastered」なのか分からなかった。 もの凄いショボイの、画が、『2』と比べて。 顔の表情なんかはホントに段違い。 PS3版の画を覚えていないのだが、とても一世代とは思えないほどショボかった。 解像度自体は同じFHDのはずだから、内部解像度とかフレームレートが上がっているのかな? しかしながら、私にはそれを感得する能力が無かった。 さらにプレイを進めていくと、自キャラの挙動がぎこちなかったり、NPCが上手く自キャラを避けてくれなかったり、『2』と比較して不満に思うことは一杯あった。 それだけ『2』が技術的に進んでいることの証でもあっただろう。 しかし、ゲームを終えたとき、『2』と比べて劣っている点は『1』に対する評価に何ら影響を与えていないことに気付いた。 これは一体どういうことなのか? 考えてみたら答えはすぐに分かった。 我々はクリアしたゲームを振り返るときに、そのゲームの画面を見ているわけではない。 我々が見ているのは自分の心の中に築かれた世界なのである。 それは、映像が固定された映画なんかとは違って、ひとりひとり少しずつ違った経験を元に創られたそれぞれの世界。 そこには当然解像度もポリゴンもない。 そこでキャラクター達はそれぞれの解釈でそれぞれの表情を浮かべているのである。 また、ゲーム中のAIがどれほど低レベルでも、心の中では極めて自然に動いていることだろう。 だから、技術がどれだけ劣っていようと、ゲームに対する最終的な評価にはほとんど影響を及ぼさないんだ。 だからといって、CG技術、あるいはAI技術に全く意味がないわけではない。 プレイヤーがそのゲームをやるための動機にはなる。 つまり、技術がどうこうという情報は、プレイする前に必要な情報なのである。 そう考えれば、発売前に情報を載せるレビューサイトとプレイヤーの評価が食い違うのは当然なのかもしれないな。 だって、レビュアーはゲームの画を見て書いているけど、プレイヤーは自分の心の中を見て書いているから。 食い違って当たり前だと思っておけば、腹も立たないだろ。 |