最果てのイマ

エロゲー的な構図 2006_09_28

 

まともにエロゲーをやらなくなって久しい。
買っていないわけではないのだが、プレイできないのである。
どうせくっだらない話を読まされるんだろうな、と思ってしまい、クリアデータだけ調達して終わることが多かった。
私はエロゲーをリスペクトしてないんだろうな、本質的には。

ところが、嘘でもイイからプレイを進めないと、Hシーンだけ見ても全然エロくない。
キャラクターも立たなきゃ、シチュエーションも飲み込めないのだ。
じゃ、なんのために私はエロゲーを買っているのか?
意味無いじゃん!ということになるのである。

仕方がないので、何とかプレイする意欲が湧くゲームはないかと考えてみたところ、やはりあの男の書くものしか思い浮かばなかった。
今の私には山田一と同一人物であろう山田ロミオの作品ぐらいしかプレイできない。
調べてみたところ、『CROSS†CHANNEL』以降、幾つかの作品に関わっているようだが、一番関わり具合が大きそうな作品ということで、『最果てのイマ』をやることにした。
私はあくまでエロゲーをプレイしようとしたのである。

ところがである。
まあまあ、話の内容は置いておくとして。
一つ気にかかることがあるのだ。
絵の構図がおかしい。
ナニのシーンにおける構図がおかしいのである。

エロゲーにはエロゲー的な構図がある。
体は全身が画面に入っていた方が良いとか、正面を向いていた方が良いとか、胸は必ず見えるようにとか、僅か20年そこそことはいえ、経験的に導かれたエロゲー的な構図というのがあるのだ。
『最果てのイマ』では、これを敢えて外しにかかっている。
間違いなく意図的だ。
これだけ連続して外すことはあり得ない。

おそらく、CG抜きでどこまでエロく出来るか挑戦してやろう、見たいな気分があったのではないか。
SEは入ってるから。
まあ、ある種のチャレンジスピリットである。
しかし、こちらとしてはあまり嬉しくない。
普通にやってくれればいいのに。

こんなのは通常許されない。
名前が売れたから出来るようになったんだろうな。
ファンになってしまうと、こんなのでも飲まざるを得ないのだ。
付き合わされる方も大変である。


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