3年B組金八先生 伝説の教壇に立て!_2

本物より心地いい 2004_11_14

 

『3年B組金八先生 伝説の教壇に立て!』が一通り終わった。
このゲームには「才能開花システム」というのがあって(面倒だから説明しないけど)、これをコンプリートするとおまけシナリオが発生するというので、3周目が終わってからも私はプレイし続けていたのだが。

全ての生徒達の才能をフル開花させるのは、ホントにくだらない。
ひたすら繰り返しプレイするだけ。
このゲームには、ストーリー進行フラグに注意信号が設けられているので、赤信号が点灯するまでストーリーに関係のない学生達と会話していくことになる。
タダ時間だけが無為に消費されていった。

ところが、これが気持ちよかった。
このゲームの世界にいることが気持ちよかったのである。
才能開花をコンプリートして、おまけシナリオをプレイし終えて、「さあ、これで終わったな」と思ったときの寂しさといったらなかったな。
なんか理由はわからなかったが、もっとこの世界にいたい気持ちだったのだ。
もっと居続けたいけど居続ける理由がない、という妙なジレンマがあった。

私はこのゲームの気持ち良さって、いったい何なのかな、ということを考えていた。
結論から書くと、生徒がいいんだな、やっぱり。
ドラマ『3年B組金八先生』はおそらく「こんな先生いたらいいな」っていう話だと思う。
登場する生徒達は世相を反映して、ものの考え方とかもっと生々しいんじゃないか。
生徒達は必ずしもかわいげがあるわけじゃない。
私は古い『3年B組金八先生』しか知らないけど。
それに比べると、『3年B組金八先生 伝説の教壇に立て!』は、「こんな先生いたらいいな」+「こんな生徒いたらいいな」になってるんだろう。

だって、「こんな生徒いたらいいな」と思うでしょ、「ビックリするぐらい頭悪いけど、みんなに喜んでもらおうと頑張る中学生」とか、「可愛い女の子のためにロケットを飛ばそうとする中学生」とか「病気の妹のために映画をつくろうとする中学生」とかね。
そんな中学生いねえよ。
いないから、いて欲しいんだ。
私のセンスとピッタリ合うくらいだから、かなり古い中学生像かもしれない。

これはかなりの確信なんだけど、TVドラマの『3年B組金八先生』より、『3年B組金八先生 伝説の教壇に立て!』の方が断然心地いいよ。
それが「3年B組金八先生」として、良いことなのかどうかはわからないが。




<余談 2004_11_15>

結構、ギャルゲー的に楽しんでる自分を感じていた。
性的イメージを出来るだけ喚起しないようにデザインはされてるんだけどね。
最終話なんかは完全にときめいちゃったな。

武田鉄矢も生徒役の女の子にときめいちゃってたらしいので、私がときめいちゃっても致し方ない。
うん、そうだそうだ。



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