『3年B組金八先生 伝説の教壇に立て!』が一通り終わった。 このゲームには「才能開花システム」というのがあって(面倒だから説明しないけど)、これをコンプリートするとおまけシナリオが発生するというので、3周目が終わってからも私はプレイし続けていたのだが。 全ての生徒達の才能をフル開花させるのは、ホントにくだらない。 ひたすら繰り返しプレイするだけ。 このゲームには、ストーリー進行フラグに注意信号が設けられているので、赤信号が点灯するまでストーリーに関係のない学生達と会話していくことになる。 タダ時間だけが無為に消費されていった。 ところが、これが気持ちよかった。 このゲームの世界にいることが気持ちよかったのである。 才能開花をコンプリートして、おまけシナリオをプレイし終えて、「さあ、これで終わったな」と思ったときの寂しさといったらなかったな。 なんか理由はわからなかったが、もっとこの世界にいたい気持ちだったのだ。 もっと居続けたいけど居続ける理由がない、という妙なジレンマがあった。 私はこのゲームの気持ち良さって、いったい何なのかな、ということを考えていた。 結論から書くと、生徒がいいんだな、やっぱり。 ドラマ『3年B組金八先生』はおそらく「こんな先生いたらいいな」っていう話だと思う。 登場する生徒達は世相を反映して、ものの考え方とかもっと生々しいんじゃないか。 生徒達は必ずしもかわいげがあるわけじゃない。 私は古い『3年B組金八先生』しか知らないけど。 それに比べると、『3年B組金八先生 伝説の教壇に立て!』は、「こんな先生いたらいいな」+「こんな生徒いたらいいな」になってるんだろう。 だって、「こんな生徒いたらいいな」と思うでしょ、「ビックリするぐらい頭悪いけど、みんなに喜んでもらおうと頑張る中学生」とか、「可愛い女の子のためにロケットを飛ばそうとする中学生」とか「病気の妹のために映画をつくろうとする中学生」とかね。 そんな中学生いねえよ。 いないから、いて欲しいんだ。 私のセンスとピッタリ合うくらいだから、かなり古い中学生像かもしれない。 これはかなりの確信なんだけど、TVドラマの『3年B組金八先生』より、『3年B組金八先生 伝説の教壇に立て!』の方が断然心地いいよ。 それが「3年B組金八先生」として、良いことなのかどうかはわからないが。 <余談 2004_11_15> 結構、ギャルゲー的に楽しんでる自分を感じていた。 性的イメージを出来るだけ喚起しないようにデザインはされてるんだけどね。 最終話なんかは完全にときめいちゃったな。 武田鉄矢も生徒役の女の子にときめいちゃってたらしいので、私がときめいちゃっても致し方ない。 うん、そうだそうだ。 |