クリスマスプレゼントをもらった。 といっても、『どうぶつの森+』の中でのことなのだが。 プレゼントは『バルーンファイト』というFCのゲームだった。 ファミコン全盛時、私はパソコンゲーマーだったので、当然このゲームのことも知らないのだが、やってみたら結構面白かったのである。 それは「上からぶつかった方が勝ち」という単純なゲームであった。 上からぶつかる、というからには敵を避けて上に行かねばならない。 そのために上昇ボタンをどの程度連打するのか?というところにゲーム性の中心があるように思う。 「どの程度」というところに面白さがあるわけだ。 それは画面が著しく美しくなった現在のゲームであろうと、昔のゲームであろうと変わらないのであろう。 ところで、私はこのゲームをプレイして驚いたことがある。 なんと「ボーナスステージ」があった。 そう、昔のゲームにはボーナスステージがあって普通だったのだ。 今どきのゲームにはもうない。 私は、ボーナスステージなんかいらない、と思った。 特別面白いとも思えなかったから。 だって、敵が出てこないんじゃ、面白くないじゃない。 どうして昔はボーナスステージがあったんだろう? ボーナスステージって、自機を失わずに得点を稼げるものだ。 きっと「自機を失わずに」というところにポイントがあって、その時間は安心してプレイできる。 つまり「長くプレイできた方が良い」という発想なのだろう。 コンシューマーがアーケードの延長だったからかもしれない。 しかし、私はこうも考えるのである。 昔は喜びの総量が重視されていて、単位時間あたりの喜び量はあまり問題ではなかったのではないか、と。 プレイヤーがそれを望んでいたからではないのか、と。 今は間延びしちゃうから、ボーナスステージなんていらない。 世の中には楽しいものが他にいっぱいあるのだから。 喜びはぎゅっと詰まっていなければならない。 それもまたプレイヤー側の要請なのではないか。 私は思うのだ。 ゲームの面白さというものは、時を経ても変わらない。 しかし、やはりゲームというものは、変わってきている。 私たちが望んでそうしてきたのだ、と。 クリスマスの夜に届いたプレゼントは、私にそんなことを考えさせた。 |