このところ自分が何かに喜んだ記憶がない。 両親も死んじゃってここ数年、誰かに何かをしてもらったこともないし、仮に何かをしてもらっても私はきっと喜ばないだろうな。 そもそも私が偏屈だからでもあるんだが、それ以上に、そういう心が失われてしまったような気がする。 心に弾力がないのである。 まったく寂しい話だよ。 ところで、『ファンタジーライフ』のメインストーリーがようやく終わった、というか、終わってしまった。 メチャメチャ短かったな、メインストーリー。 終わらせてはいけないという予感があって、極力進めないようにプレイしていたんだけど、ちょっと進めたらあっという間に終わってしまった。 もうほとんどチョウチョはしゃべってくれない・・・。 このゲームの語り部はチョウチョである。 主人公がしゃべらないゲームでは誰かが代わりにしゃべる必要があって、こういうゲームだったら大抵は妖精あたりが順当なところなのだが、このゲームではチョウチョ。 これがちょっと面白い効果を生んでいる。 だって虫でしょ、チョウチョって。 人間がぼけて、チョウチョが突っ込む。 そしてそれに人間が普通に答える。 このやりとりだけでも面白いんだよね。 何でチョウチョと普通に喋ってるんだよって。 そして何より、私は「やった!」っていうのが好きだったなあ。 ものすごく些細なことで喜ぶんだ、このチョウチョは。 えっ、それが「やった!」なの?っていう新鮮な驚きがあった。 初めて人間界に降りてきた、という設定にしてもね。 このチョウチョが何をしゃべるのか、それが楽しみで仕方なかったな。 ところが、メインストーリーを終えると、チョウチョはほとんど何も喋らなくなる。 どっちかというと、メインストーリーの方がオマケなんだろう。 むしろ平凡な日々を過ごすことがメインなのだ、と。 でも、いざ喋らなくなってみると、全然やる気が湧かない。 まだマスター7つ取っただけだし、マスターを取った後にもまだやることはいっぱいあるのだが・・・。 私にとっては、チョウチョがこのゲームのすべてだった。 チョウチョさえ喋ってくれれば、いくらでもプレイ出来たのに。 このゲームを創った連中は、チョウチョの魅力に気づかなかったのかな? |