ゲームを終えてから、一晩経って印象が変わる。 というか、まだ終わってなかったんだな。 私が考えている限り、ゲームは続いていたのである。 これはなかなか新しい経験だった。 『トラスティベル 〜ショパンの夢〜』は素晴らしい作品だったな。 今回の話には当然にネタバレです。 これからこのゲームをプレイするつもりがある方は、ここから先を読んではいけません。 もっとも私はこのゲームの内容を知っていて、敢えてプレイしたのだけど。 この『トラスティベル 〜ショパンの夢〜』のエンディングを見終えたとき、とりあえずショパンという人物を調べるより他にないと思った。 他にいかなる手がかりもなかったからである。 それぐらいこの物語を理解することは難しい。 以下に書いてあることは、適当にネットで調べたことを私なりに書いているだけである。 現実のショパンには14歳でショパンと同じ肺結核で亡くなったエミリアという妹がいる。 ゲーム中のポルカがエミリアを投影したキャラであることはすぐに分かった。 ちなみに、病床の枕元にいるのが姉のルトヴィカ、後ろの長椅子に腰掛けている貴婦人がポトツカ夫人だろう。 ルトヴィカのモデリングはポルカの母に似ているような気がするので、ここにも投影があるかもしれない。 ポトツカ夫人はショパンと同じポーランド出身で20年来の友人であり、ショパンの最後の病床で賛美歌を歌ったと伝えられている人物である。 ショパンの生涯を調べてみると、夢の中の出来事が良く理解できる。 あまり細かく書いても仕方がないだろうから書かないけど、夢ってのは見ている人が持っている材料からしか生まれ得ないものなので、納得の出来る内容である。 ゲーム中の登場人物もショパン自身を投影したものなんだろうな、と思える人が多い。 夢の中なんだから、多少話が唐突でも私はまあ許すことが出来るな。 現実の死に臨んで、自分の中の光り輝くものと対峙せざるを得なかったショパンを描くのも決して悪くはないだろう。 結局問題はその後だ。 あそこの解釈が分からないと、どうにもならない。 ラスボス・ショパンを倒した後、ポルカが突然崖から飛び降りるシーンの話だ。 なぜ飛び降りなければならないのか、が普通にやっていたら理解できない。 なぜポルカは海に入る運命だったのか? なぜ海に入ったはずのポルカがまた戻ってくるのか? ポイントはやはりエミリアなんだよ。 14歳の少女は死んではならないのである。 だから、14歳になる前にループする世界をショパンは夢の中で作り上げた。 ショパンは夢の中に初めて現れたけど、いままでもずっと続いている世界だったのだ。 エミリアの死を認めることは、自分の死をも認めることだったからかもしれないな。(ゲームの作者が過去の偉人の心裏を勝手に創作することが許されるのかは別にして) 大凶しかないおみくじとか、投げ捨てた勾玉が舞い戻ってくる話なんかは、伏線になってたんだろう。 おそらく最後にショパンは自分の死を受け入れることで、ポルカを無限ループから解き放ってあげたんだ。 エミリアとポルカを切り離してあげたんじゃないか。 ポルカはこれからポルカとして生きていくはずである。 大変結構な話じゃないか。 この結論に至ったときは嬉しかったな。 しかし、問題はまだ残っている。 ショパンはどうやったって死ぬのである。 死んだら、夢の世界も消滅するよな。 それは困る。 すごく困る。 エミリアとポルカを切り離すと同時に、夢の世界自体もショパンから切り離された、と考えられないだろうか。 そんな都合のいい話が許されるはずがない、と自分でもおかしかったが、そう考えてあげたいと私は思っている。 <後日談 2007_07_30> しかしこのゲーム、評判すごく悪いな。 少なくともネット上では。 どうも、ショパンの夢だ!ってのが理解されていないように思える。 タイトルに書いてあるのに。 なんでショパンがどういう人物だったのか調べようとしないんだろうか? Wikiひとつ読まない人が多いようだ。 ショパンを知るとだいぶ理解が変わると思うけどな。 このゲーム、各章の間にショパンの曲を聴かせつつ、ショパンの生い立ちを説明するパートがある。 それもすごく長い。 このゲームはショパンなんだよ、って言ってるんだろうな。 確かに、なんでうち等がショパンの勉強せなあかんのん?という気分もわかるけど。 おそらくこのゲームを創った人は、ショパンに強い思い入れがあったんだろうね。 私が想像するに、ショパンという人物は鬱々とした思いのまま死んでいったはずだ。 「ショパンにもっと晴れ晴れとした最後を迎えさせてやりたい。そうしたら彼はどんな調べを奏でていただろうか?」みたいな空想から生まれたゲームなんじゃないか、これは。 そこいらへん汲み取ってやらないと、結局損をするのはプレイする時間を無駄にした自分に他ならない。 |