エロゲーも変わったよなー、と感慨深いものがある。 私もずいぶんと長いことやってきたものだ。 ここでエロゲー史を書いたところで、面白くもないと思うのだが、これから書くことのために少しだけ説明しておく。 かつて日本のPCゲームにはエロゲーしかない、という時期があった。(今もそれに近いが) 今から7〜12年ぐらい前にあたるだろうか? どうしてかというと、国内でコンシューマーが隆盛を極めていた上に、日本にはNEC98しかなかったからである。 海外のDOS/Vゲームは動かなかった。 逆に言うとそれは、エロゲーでゲームの全てを表現していた時代といってもいい。 エロゲーしか売れないので、ありとあらゆるジャンルを無理矢理エロゲーにしていたのだ。 DOS/V機を購入して海外ゲームで遊んでいた人たちにとっては暗黒の(ある意味優越の)時代であったが、エロゲーが「エロ」とはいうものの立派に「ゲーム」であった時代でもある。 では現在はどうかというと、エロゲーは、いわゆる「ノベル」タイプが主流になっている。 読むだけでゲーム性はほぼゼロである。 選択肢を作ると同じ話を何度も読まなければならないので、選択肢が豊富なゲームはむしろ嫌われるという事情もあり、限りなくゲーム性はゼロに近づいている。 ほとんど同人作家の表現スペースと化しているのが、エロゲーの現状だろう。 私はそれを歓迎している。 私はエロが大好きだからエロゲーを買っているのだ。 敢えてゲームは望むまい。 それに、正直エロゲーに力を割く余裕はないし、個々のユーザーを把握できないPCはゲームに向かない。 エロゲーは堂々とエロゲーたれ!と私は思っている。 これから書こうとしている『銀色〜完全版〜』という作品も、そういった今風のエロゲーの一つである。 この『銀色〜完全版〜』がどんな物語なのかを書くことは私の能くするところではないので、ここでは書かないが、一言でいえば、とにかく登場人物がどんどん不幸になっていくゲームである。(誤解を招きそうだが、私は敢えてこれ以上書かない) ある者はそれと知りながら、ある者はそれと知らずに不幸になっていく。 場合によっては、自分を不幸だとすら思わずに。 私はイライラしながらプレイし続けた。 「なんじゃこりゃ? こいつらを救う選択肢がなぜ用意されていないんだ?」 いったいこのゲームは何が言いたいのか、さっぱりわからぬまま私はプレイを進めることになった。 そしてエンディング。 読むだけなので、たどり着くことは難しくも何ともない。 私はどう考えたらいいのか迷っていた。 このゲームには何かしら含むところがあるようだ、ということはわかったのである。 しかし、私はそれについて書きたいとは思わない。 私が今書きたいと思っていることはなんなのか。 それは、選択肢を寄こせ!ということである。 ゲームであるという体裁をとるならば、少なくとも不幸になるとわかっている選択をしない権利が私達にはあるはずだ。 もしこれを「もはやゲームではない」と主張するのであっても、 「せめて登場人物は最善を尽くせ! 敢えて悲劇的な選択をするなかれ!」 と私は言いたい。 たとえそのテキストがどれほど優れていようと、たとえその物語がどれほど詩情に溢れていようと。 どうしても悲劇的にしたいなら、最善を尽くした上でなお不可避な物語を構成すべきだ。 私はどうしても『銀色〜完全版〜』を賞賛するわけにはいかないのである。 <補足 2001_11_27> あまり本筋じゃないんだけど、「7〜12年前」について。 これはPC88SRのゲームが打ち止めになってから、DOS/Vが普及するまでを指しているつもり。 しかし、あの当時のゲームを考えるとき、X68000について言及しないのは如何なものか?というご意見はごもっともだという気がしてきた。(クレームを受けたわけではないのだが) 言及しようにも出来ないんだよね。 X68000使ったことないし、周りにもユーザーいなかったから。 |