シェンムー

子供の頃、思い描いたこと 2000_01_25



「シェンムー」が終わった。
正直言えば、やっと終わったといったところだ。
見た目に反して、よく言えば懐かしく、悪く言えば古くさい。
しかし、このゲームの悪い点は次回にするとして、今回は私が子供の頃思い描い
たことを書いてみたい。
このゲームの「懐かしさ」がそれを呼び起こした。

私は子供の頃、プログラマーになりたいと思っていた。
時期を正確に記述するとすれば、小学校6年生から中学1年生ぐらいにかけてだ
ろうか。
ちょうど電気屋さんにおいてあるパソコンをいじり始めた頃のことである。
今の私はプログラマーとはいささか縁遠いところにいるのだが。

そのころプログラマーというのは格好いい職業だった。
もちろん当時から離職率が高いとか非人間的であるとか言われていたが、ことゲ
ームの世界では輝いていたのだ。
エニックスのプログラムコンテストで準優勝だった中村さん(現チュンソフト)
が、高校生の身ながら印税で4千万円を稼いだなんて話は、子供だった私を強く
惹きつけた。(「ドアドア」のこと)
また堀井雄二さんなんかも、このコンテストから世に現れた。(「ポートビア殺
人事件」)
将棋ゲームで有名な森田さんもこの時期の人だし、「ゼビウス」をつくったのが
遠藤さんだということを皆が知っていた時代だ。
そこが今と違うのである。

当時は一人のプログラマーがゲームの大半を作っていた。
プログラマーはディレクターであり、ミュージシャンであり、時にはプロデュー
サーですらあった。
だからプログラマーは格好良かったのであろう。

いま思い返してみると、あの頃の私にも『こんなゲームを作ってみたい』と思う
ものはあった。
広い街があって、テニスコートへ行くとテニスゲームが出来る。
デパートへ行くと買い物が出来て、街でガールハントできたりすると楽しいなあ
と思っていた。(私の頭の中では、「ファミリーテニス」や「東京ナンパストリ
ート」(だったか?)が一体になっていた)
そして、どんどんそれ(組み込まれるゲーム)は増えていくのである。
メモリの搭載量が格段に少なかった当時、それはまるで夢のようなものだった。

しかし、それはいま現実となった。
「シェンムー」の中には、少なからずそれが実現されているのである。
それはかつて私が思い描いたものよりも、遙かに凄いものだった。
隔世の感がある。

そして、更に言うならば、それは決して面白いものではなかった。
個々のゲームが楽しくなければ、いろいろくっつけても意味がないのである。
私はゲームを作る側に回らなくて正解だったのだろう。
「シェンムー」をプレイして、そんなことを考えていた。


<訂正 2000_10_03>

堀井雄二氏のデビュー作は『ラブマッチテニス』という作品なんだそうだ。
商業発売されたのかわからないが。
私がエニックスのプログラムコンテストを初めて見たのは、確か第2回だったは
ずなので、第1回の時の作品だろうか。
あのコンテストはいつの間にかなくなってしまったが、その後には大きな足跡が
残された。


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