わがままファッション ガールズモード

アプローチを変えろ 2009_01_08

 

以前、元引きこもりニートの若者が、家電量販店の売り子さんをやっているドキュメント番組を見たことがある。
「お勧めして買って頂けると嬉しいです。やりがいありますよ。」みたいな話を笑顔でしていたのが、やけに印象に残っている。
私はバイトですら売り子をやったことがないのだが、どうもモノを売るという行為にも喜びが存在するようである。
そこに喜びがあるなら、それはゲームになるかもしれない。
ゲームに対するアプローチは負荷の側面からばかり考えていてはいけないようだ。

『わがままファッション ガールズモード』が女子達に人気らしい、という話はかなり早い段階から聞いていた。
私がこのゲームを買ったのは、もう1ヶ月も前のことである。
正直言うと、特別やりたかったわけではなく、どういうのが女の子に受けるのか興味があって買ってみただけであった。

このゲームで主人公「ひぶこ」は被服及び装飾品を売る。
店にやってきたお客の要望に沿ったコーディネートを考えて、ご提案するわけである。 ただし、コーディネートってセンスの問題だからよく分からない。
何が正解なのか?
同色系で揃えるとか、予算から消去法で選ぶぐらいしか選ぶ根拠がないのである。
行為と結果の間に因果関係がないモノをゲームとして捉えられるのか?という疑問は湧いてくる。

しかし、たぶんそういう発想じゃ駄目なんだな。
喜びがある、と。
そしたら、その喜びを得るために必要な負荷を小さくしてやれば、結果として小さな負荷を乗り越えることで大きな喜びを得ることになるはずだ。
実際に服を売るには、資金調達、仕入れ、ディスプレイ、販促等々の要素、負荷として考えれば極めて大きな負荷が存在するだろう。
それを下げてやれば、ゲームになるんだ、という発想がどうも必要らしい。

お客さんは店を開けばわんさかやってくる、お金は美形スポンサーが出してくれる。
売り物はすぐ近くの展示会から調達できるし、やけに親切な先輩がお店を手伝ってくれる。
おまけに、お客は勧めれば大抵買ってくれる。
それで良いんだって、普通は思えないよな。
乗りこえたときに喜びを感じるような負荷のデザインを考える立場からは。
やっぱりアプローチを変える必要がある、ということが判る作品なんだな、この『わがままファッション ガールズモード』は。

正直言うと何が面白いのか、私はよく分からないんだけど。


戻る