レッツキャッチ

相談に乗ってやらないこともない 2009_01_07

 

キャッチボールというのは当然だが、それ自体がゲームである。
分解して考えれば、ボールを投げる行為とボールを掴む行為に分けることが出来るが、やはりそれぞれもゲームだ。
私の定義ではこれは当たり前のことである。
グラブを使うと、喜びの増幅効果もあるので、テレビゲーム的な感覚で捉えることも可能である。(道具による喜びの増幅についてはまた別の機会に書きたい)
ただし、キャッチボールは割と暇である。
少なくとも半分の時間は手元にボールがないし、捕るにせよ、投げるにせよ、脳をそちらに傾けなければならないのはホンの一瞬である。

そうすると、人間は何かしらやろうとするよな。
キャッチボールをするときって大抵なんやら会話しながらやるものである。
あれはたぶん暇だからだ。
逆に会話したいからキャッチボールをするんだ、と考えられなくもないが。

中さんが開発した『レッツキャッチ』は『レッツタップ』よりも筋の良い感じがする。
キャッチボールという現実の行為をWiiリモコンでの操作に置き換えているからだ。
これなら納得できる。
ただし、あまりゲームは追わなかったようだ。
Wiiのコントローラーには限界があるからな。
ボールを捕るときは位置を指定しないし、投げるときもあくまで大雑把なコントロールがあるだけである。
キャッチボールをするときって、相手の力量を見極めつつ、自分の喜びを最大にするように力加減をするものだけど、そういうところはあんまりゲームとして追いかけなかった。
たぶん正解なんだろう。

当然プレイ自体は暇である。
その代わり、キャッチボールするときの会話をプレイする動機付けとして取り入れたようだ。
これも現実の行為を取り込んでいるわけで、案外良かったな。
ストーリーモードに登場するキャラはそれぞれ悩みを抱えているんだけど、キャッチボールすることがこれを解決することにつながるので何となく嬉しい。

なんでわざわざ金払って悩みを解決してやらなきゃならんのだ、と思わなくもないが、追加シナリオがあればあるいは買ってしまうかもしれない。
私は解決してやりたいと思うのである。
それは、悩みを解決すること自体が喜びを伴うゲームであり、解決方法をキャッチボールに置き換えてやるという、操作するところから考えると2段階の置き換えがあるからだとも言えるだろう。
この『レッツキャッチ』は案外良くできているのかもしれんよ。

キャッチボールぐらい生身の人間とやればいいじゃん!と思わなくもないが、現実にはキャッチボールしたからといって悩みが解決するとは限らないからな。


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