『スーパーマリオ オデッセイ』をやり始めると、すぐにマリオだけ影が真下に出来ていることに気付く。 どういう光源計算をしているのかは知らないが、普通に考えたらマリオだけ真下に影が出来るのは不自然である。 これはおそらく3Dになると位置関係がわかりにくくなるから、不自然であれなんであれ、下に出す必要があったのだろう。 それだけ、3Dになると敵を踏みつけることが難しい、と創り手が認識していることの現れともいえる。 しかし、影があってもやっぱり難しいよね、踏みつけるのは。 マリオの動作には慣性が組み込まれているので、動き始めなんかだとどれぐらいジャンプで移動するのか掴みにくい。 そう考えていくと、おっ!そうか、と合点がいく。 やっぱり帽子がいるんだ。 あれは一挙両得どころか、全ての問題を解決してしまう、スーパーアイテムであることに気付くのである。 そもそもストーリーのあるゲームには語り部が必要だ。 「スーパーマリオRPG」シリーズなんかを見れば分かることだが、主人公が喋らないなら誰かが喋らなくてはならない。 カバンですら語り部たり得たわけだから、帽子が語り部であってもおかしくはないだろう。 一方で何か攻撃する手段が欲しい。 踏みつける以外の。 だって、ただでさえ踏みつけるのは難しいわけだから。 敵をたくさん出現させるような演出をしたり、速い敵を登場させられないでしょ。 何かしら簡単に攻撃出来る手段がどうしても必要なのである。 そうすると、語り部と攻撃手段が一体化していたら便利だな、ぐらいは誰でも思いつくかもしれない。 ただし、攻撃手段が帽子であることで、キャプチャー(敵に乗り移る)が出てくるんだ。 おそらく「服に着られる」みたいな表現から発想が生まれてくるんだろう。 キャプチャーを導入するすることで、目先が変わるし、謎解きにも幅ができる。 一番最初にカエルをキャプチャーしたときには新鮮な印象があったし、恐竜をキャプチャーしたときには今までのマリオにはない驚きがあった。 最後の演出なんかは素晴らしいと思ったな。 あそこは何回もやり直させるとプレイヤーの熱が冷めちゃうから、一気にクリアさせたいはず。 難易度は上げられない。 だから難易度を下げる代わりに、あれをキャプチャーして手数を稼ぐ。 そして派手に盛り上げるだけ盛り上げてエンディング!ってところが良かった。 あれなんかはキャプチャーがあってこその演出だな。 でもよく考えると、キャプチャーって大した話じゃない。 局面局面では単なるミニゲームをやってるのと変わらないでしょ。 ところが、それをマリオが乗り移っていることにすると、やっぱりスーパーマリオになるんだよね、全体として。 クリア後にパワームーン集めをしていると、実は大したことないのか?と思ったりもするんだが、エンドロールを見るまではそんなこと思いもしなかった。 振り返ってみると、帽子を導入したのが上手かったと思うね。 これしかないだろ、というぐらいハマってる。 ゲーム構成上の必要からキャラが生まれてくるあたりが、任天堂らしいといえば任天堂らしいのかもしれないな。 |