カルチョビット

プレイヤーを独占しない 2006_05_26

 

野球シーズンである。
私は野球が大好きなので、TV中継があれば当然観たい。
ところが、野球はインプレーの時間が短くて、今時の他の娯楽と比較して、観ている分には喜び密度、というか、平均喜び量が低いのだ。
そこで、何かと組み合わせて野球を観たいという要請が私の中にはあった。
『シレンモンスターズ NETSAL』で得た経験が私に、負担の小さい携帯機用ゲームを購入しろ、と囁きかけていたのである。

そんな私にピッタリのゲームが発売された。
その名も『カルチョビット』。
なんだかよくわからないが、「チョビット」というぐらいだから、ちょびっと遊べそうなゲームだった。
一応ひとことで説明すると、サッカーチーム育成シミュレーションゲーム、とでも書いておけばそこはかとなく判っていただけそうである。

このゲーム、私の狙いにピッタリで、サッカーの試合中、監督であるプレイヤーはあまり関与しない。
選手交代と、ハーフタイムでの戦術変更ぐらいである。
野球を観ながらやるのにちょうど良いゲームだった。
しかし、あまりに面白いので、ついこのゲームだけをやってしまって私は気がついたのである。
『カルチョビット』単体で考えると、やはり喜び密度が足りない。
試合を早回しできないのだ。

このゲームには、試合中に特訓メニューを獲得する要素があるんだけど、例えば、試合を観ながらプレイヤーが自分で特訓メニューを獲得するように創ることだって出来たんじゃないか。
しかし、実際には試合をただ眺めているだけのゲームになっている。
そこには何か意図があるだろう。

これは全く私の想像にすぎないのだが、サッカー選手の動きをシミュレートすること自体をやってみたかったんじゃないかな。
アルゴリズムを創って、選手データをインプットして、ボールの位置とフォーメーションを初期値として入れてやる。
選手がどう動いて、どう試合が展開するのか。
正にカオスだよ。
野球なんかと違ってサッカーはルーズプレーが多いから、シミュレートするのは難しいだろうな。
難しいからこそ、サッカーらしく動くようなアルゴリズムを考えるのは楽しそうだ。
たぶんそこを表現してみたくて、試合は削れなかったんじゃないか。
だってその気になれば、「さかつく」みたいにダイジェストで表現することだって出来たはずだからね。

そうすると、必然的に喜び密度が落ちるので、プレイヤーを独占するようなゲームを創ると怒られちゃう。
だったら初めからプレイヤーを独占しないことを前提としてゲームを創ろう、というスタンスはあり得る。
おそらくそういうことなんだろうな、このゲームのコンセプトは。
私は独り納得している。

プレイヤーが自分で何かと組み合わせて、享受できる喜びを自らMAXにする。
携帯ゲームにはそういう側面があるんだ。
それを利用したゲーム作りってのは当然アリだな。
そればっかりになっちゃうと、娯楽世界におけるゲームの立場は低下しちゃうんだけど。



<追加 2006_05_27>
「カルチョビット」という名前は、イタリア語のサッカーを意味する「カルチョ」と「ちょびっと遊ぶ」を組み合わせて出来ているらしい。
しかし、実は「calculate」+「ちょびっと」で、サッカーを単純化して計算する、という由来が裏にあるのではないか、などと考えてみたのだが、果たしてどうか。
さすがにちょびっと無理があるかな。


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