野球シーズンである。 私は野球が大好きなので、TV中継があれば当然観たい。 ところが、野球はインプレーの時間が短くて、今時の他の娯楽と比較して、観ている分には喜び密度、というか、平均喜び量が低いのだ。 そこで、何かと組み合わせて野球を観たいという要請が私の中にはあった。 『シレンモンスターズ NETSAL』で得た経験が私に、負担の小さい携帯機用ゲームを購入しろ、と囁きかけていたのである。 そんな私にピッタリのゲームが発売された。 その名も『カルチョビット』。 なんだかよくわからないが、「チョビット」というぐらいだから、ちょびっと遊べそうなゲームだった。 一応ひとことで説明すると、サッカーチーム育成シミュレーションゲーム、とでも書いておけばそこはかとなく判っていただけそうである。 このゲーム、私の狙いにピッタリで、サッカーの試合中、監督であるプレイヤーはあまり関与しない。 選手交代と、ハーフタイムでの戦術変更ぐらいである。 野球を観ながらやるのにちょうど良いゲームだった。 しかし、あまりに面白いので、ついこのゲームだけをやってしまって私は気がついたのである。 『カルチョビット』単体で考えると、やはり喜び密度が足りない。 試合を早回しできないのだ。 このゲームには、試合中に特訓メニューを獲得する要素があるんだけど、例えば、試合を観ながらプレイヤーが自分で特訓メニューを獲得するように創ることだって出来たんじゃないか。 しかし、実際には試合をただ眺めているだけのゲームになっている。 そこには何か意図があるだろう。 これは全く私の想像にすぎないのだが、サッカー選手の動きをシミュレートすること自体をやってみたかったんじゃないかな。 アルゴリズムを創って、選手データをインプットして、ボールの位置とフォーメーションを初期値として入れてやる。 選手がどう動いて、どう試合が展開するのか。 正にカオスだよ。 野球なんかと違ってサッカーはルーズプレーが多いから、シミュレートするのは難しいだろうな。 難しいからこそ、サッカーらしく動くようなアルゴリズムを考えるのは楽しそうだ。 たぶんそこを表現してみたくて、試合は削れなかったんじゃないか。 だってその気になれば、「さかつく」みたいにダイジェストで表現することだって出来たはずだからね。 そうすると、必然的に喜び密度が落ちるので、プレイヤーを独占するようなゲームを創ると怒られちゃう。 だったら初めからプレイヤーを独占しないことを前提としてゲームを創ろう、というスタンスはあり得る。 おそらくそういうことなんだろうな、このゲームのコンセプトは。 私は独り納得している。 プレイヤーが自分で何かと組み合わせて、享受できる喜びを自らMAXにする。 携帯ゲームにはそういう側面があるんだ。 それを利用したゲーム作りってのは当然アリだな。 そればっかりになっちゃうと、娯楽世界におけるゲームの立場は低下しちゃうんだけど。 <追加 2006_05_27> 「カルチョビット」という名前は、イタリア語のサッカーを意味する「カルチョ」と「ちょびっと遊ぶ」を組み合わせて出来ているらしい。 しかし、実は「calculate」+「ちょびっと」で、サッカーを単純化して計算する、という由来が裏にあるのではないか、などと考えてみたのだが、果たしてどうか。 さすがにちょびっと無理があるかな。 |