最近の、といってもここ10年ぐらいの話だが、米ドラマを観ていて、あり得ないだろ!と思うことがある。 それは顔の近さ。 あり得ないぐらい近いんだよね。 特に「BONES」とか「Castle」みたいな男女コンビの米ドラマ。 普通あんな近くに寄られたら気持ち悪いよ。 なぜあんなに近いのかというと、テレビが横長になったからだろう。 ちょうど頭が2つすっぽり収まるサイズ感。 キャラクターの魅力を伝えるには大写しの方が良いわけで、だったら不自然でも二つ入れちゃおうってことだと思われる。 そういった事情はおそらく映画だろうが、テレビだろうが、ゲームのムービーシーンだろうが同じなのではないか。 ところで、『妖怪ウォッチ4 ぼくらは同じ空を見上げている』には言いたいことが一杯あるの。 決して悪いゲームではないんだけどね。 イヤイヤながらも最後までやったから、書かずにはいられないのである。 最初にこのゲームを見たとき、ケータの頭身の高さが気になった。 前はもっと低かっただろ。 ダークサイドの連中に合わせたのかな? 等身が高くなると全身をフレームに納めたときに顔が小さくなっちゃうから、既に不利なんだよね、キャラクターの魅力を伝える観点から言えば。 ということは、カメラワークが極めて重要になることは想像に難くない。 ところが、である。 このゲームのストーリー進行画面はずっと引きの画ばっかり。 常に3〜10人ぐらいの仲間が突っ立ってて、それを引きで映しているだけなのである。 95%ぐらいは同じアングルなんじゃないかな。 こんなんだったら、2Dのバストアップでも映しておいた方がまだマシだよ。 もう退屈で退屈で仕方なかったな。 退屈だから全部早回し。 早回しと言っても描画重いせいか、言うほど早くないし、テキストを一文字ずつ表示するくせに最後の文字を表示してからすぐに一括して消すから、まともに読めたもんじゃない。 出来が悪いわけじゃないのに私がこのゲームを楽しめなかった原因の一つではあったね、間違いなく。 ゲームのクリエイターが自分のことを監督とか言い出すと、なんかイヤな感じはするよ、そりゃ。 でも、映画だろうが、テレビだろうが、ゲームだろうが、見せるだけであればプレイヤーに使わせてる時間は同じだからね。 他の娯楽と同じレベルで戦ってもらわないと困るよ。 見せるならちゃんと画作りを考えるべき。 それが出来ないなら、テキストだけ読ませて。 頼むから。 |