螢幕判官 Behind the Screen、NS版

いくらなんでも古すぎる 2018_08_28

 

我が家では大抵夕食を夜の7時ぐらいに食べるのが常であった。
30年ぐらい前の話なのだが。
食卓の脇にはテレビがあって、7時のニュースがいつも流れていた。
ニュースではしばしば、韓国あたりの超絶激しい労働争議が報じられていたものである。
そうすると親父が「30〜40年遅れて日本と同じ事が起きている、民主化すると大抵どこでもおんなじ現象が起きるもんだ」などとつぶやいていたのを私は思いだした。
それは『螢幕判官 Behind the Screen』というゲームをやっていてのこと。
『返校 Detention』が面白かったので、また台湾モノに手を出してみたのだが、いまいちよく分からなかった、という話をこれから書く。

この『螢幕判官 Behind the Screen』は、父親殺しで捕まったある男性の生涯をミニゲーム形式で追っていく作品である。
ゲーム自体は特にどうという事はない。
問題はお話の方である。

簡単に書くと、我々が凶悪犯だといって叩く犯人にも何かしらの事情があるのに、それを報道しようともしなければ、理解しようともしない、という問題意識の元にこの作品は創られていると思われる。
しかし、これをプレイしてみて、私は着眼が古いと思った。
30年ぐらい遅れている、と。
日本が停滞しているうちに近隣諸国がキャッチアップしてきて、分野によっては追い越されている今、台湾が遅れているなんて滅多に思わないよ。
それでもこの問題意識は、日本だったら1980年代ぐらいの感じかな。

台湾独特の事情が分からないんだ。
権力者に情報をねじ曲げられたり、それをメディアがそのまま報道してしまったり、それに民衆も乗ってしまったり、って事はどこの国でも起こる事だと思うんだ。
だから、こういう問題意識の元に、既に多くの作品が創られてきた。
民度の成熟具合で国よって早い遅いはあるにせよ。
そりゃ台湾だって、いつかは通った道だろう。
でもさ、いくらなんでも古すぎなんじゃないか?
いま台湾でこれがホットな問題意識なの?っていう疑問がずっと頭から離れなかった。
なぜ今なのか?

結局最後までやっても、よく分からないままだった。
主人公にも悪いところがあって、あんまり同情する気にもならなかったし。
時代設定を敢えて70年代あたりに置いているところをみると、私が知らない台湾独特の事情があるのかもしれないけどね。
そこが分かれば、また見方が変わる可能性はある。


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