最果てのイマ_2

軸と仮定がてんこ盛り 2006_09_30〜10_01

 

やっとのことで『最果てのイマ』を終えた。
1日30分〜1時間ぐらいで、一ヶ月近くかかったような気がする。
長かった。
やりきれなくて、酒飲みながらマウスをクリックしてることが多かったな。

このエロゲーを終えるにあたって、なんかまとめの話でも書いてみようかな、と思ったのだが、これが難しかった。
私はいつも軸を立ててゲーム話を書こうと思っているのだが、立てるべき軸がありすぎてどう書いていいのやら分からない。
詰め込みすぎなのである。
どこを軸に立てても、物語が上手く回ることはないと思う。
時系列がバラバラになっているところが、それを可能にしたのかもしれないな。
元々違和感があるから、話が飛んでても当たり前に思えるからね。

いい加減考えるのもイヤになってきた。
私が考えてきたことを適当にまとめて、オサラバさせてもらいたい。
どう書いたところで、幾つかの軸は絶対に落ちちゃうし、私の中にある材料に置き換えるので、おそらく大量の仮定を入れるより他にないだろう。

今後、『最果てのイマ』をプレイするつもりのある方は、下記を読んではいけません。





この世界はいつか破綻する、と私は思っている。
人類が一人残らず滅亡するとまでは言わないけど、今のような暮らしは続かないだろう。
理由はエネルギー・資源問題に求めてもいいし、民族対立に求めてもいい。
思いつく理由なんてのは山ほどあるのだ。
私は最近、世界経済のネズミ講理論というのを考えているんだけど、説明すると長くなるので止めておく。

もし、この破綻を回避することが出来るものがあるとすれば、おそらく教育だけだろう。
人間は器だ。
何を入れるかによって決まる。
実際世界中の人間を教育するなんてのは無理な話なのだが、仮に教育できるとしても更に問題は待ちかまえている。
人間という器に何を入れるのが正しいのか?
そんなもん誰にもわかりはしない。
絶望的だ。
ゆっくりと破綻する世界を我々はただ眺めるより他にない。

しかし、この世界がいつ破綻するのかはわからないのだ。
10年後かもしれないし、100年ぐらいは保つかもしれない。
私たちが生きているうちは破綻しないかもしれない。
だから私たちはいたずらに絶望するわけにも行かないのである。

ここで仮に。
この世界に破滅をもたらす侵略者が訪れると仮定しよう。
ほおっておいたら誰一人として生き残らない。
もし人類に生き残る術があるとすれば、全人類が力を結集して戦う以外にない。
可能性は限りなく0に近いが、0ではない可能性にかけるしかないのだ。
そのためには絶対なる王のもとに全人類を統制する必要がある。
そして、その王に誰かがならねばならないとしたら、さてどうか。

これはもう教育とかそういうレベルではなく、強制的に全人類を乗っ取る。
人間には一人に一つの世界があるというのに、その無数の世界を一人の王の支配下に置くのである。
一人に一つの世界を尊重する人であればあるほど、これは悩ましい話なのだ。
どうせ勝つ見込みは0に近いんだし、投げ出したくなっても致し方ない。
それでもやるというからには、この世界を守りたいと願う何かしらの力が必要だ。

絶対なる王となった後、王は世界との関わりを持つことが出来ない。
その後にあるのは永遠の孤独だけだ。
だとしたら、思い出が必要だろう。
思い出すだけで、胸が熱くなるような記憶が。
それをあてにしなければ王は戦えない。
心残りの無いように、納得がいくまで思い出作りをすることは当然に許されるにちがいない。

さて、絶対なる王は侵略者と戦わねばならない。
ところが、戦ってみてはじめてわかる驚きの真実。
敵は人類自身であった。
全人類を強制的に指揮下に置いておきながら、人類の大半を殺すことでしか勝つことの出来ない戦い。
いうなれば、間引きである。
絶対なる王は自身の手で人類を間引かなければならない。
なんと罪深いことか。
その罪もまた王が引き受けねばならないのである。

しかし、絶対なる王の創作者たる神は、試練に耐え抜いた王に過酷な結末は用意しないだろう。
それはささやかな救いである。


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