軸にはなれない 2000_03_14
軸にはなれない 2000_03_14
私はこれから書くことのために、2本のソフトを弁護しなければならない。
まずは「ドンキーコング64」。
このゲームのなんと素晴らしいことか。
私は毎日このゲームをプレイする度に感動を覚える。
ただアイテムを置き散らしてあるだけじゃない、そこには意図がある。
アイテムだけじゃない、そこにあるモノ全てに意図が感じられる。
私はその意図に誘われるようにして、このゲームの世界に溶け込んでいった。
こんなゲームがあるから私はこうしてプレイし続けていているのだ。
そして「CRAZY TAXI」。
このなんとメチャクチャで面白いことか。
しかしそのメチャクチャさの影には、隠されたねらいがある。
私はこのゲームに、シューティングゲームをプレイする時と同じモノを感じ
つつある。
『得点稼ぎ』・・・、そう、とても熱い。
ただ漫然とプレイところから一歩飛び出して、どこで自分と折り合いをつけ
るかを考え始めたときの喜び。
何ものにも代え難い。
こんなゲームに出会えるから、私はこうしてプレイし続けているのだ。
しかし・・・、私は感じていた。
軸がない。
今の自分のゲームライフには軸がないということを。
「D2」が終わってからも、私にはプレイすべきゲームが山のようにあった
が、どれも軸にはならない。
毎日がブツブツに切れている感じがする。
やはりストーリー性のあるものがゲームライフの軸に座っていて、その脇を
優秀なゲーム達が囲んでいる、というのが私の理想なのだ。
私はDCに軸を求めてみた。
しかし、今のDCにはそれがない。
また、N64でもそれは同じ事だったし、PS2だってそうだ。
軸がないゲームマシーンは、ストリームの中心にはなり得ない。
やはり行き着くところはPSだった。
私は以前から気になっていた「ベイグライント ストーリー」に着手するこ
とにしたのだ。
そして、その思わせぶりなオープニングを眺めながら私は思った。
「さあ、立ち上げるぞ。」
自分の中で。