自分で自分のことを「ゲーマーだ」などと言う輩の書くことは、あてにならない。 なぜならば、自分だけが感じられる事について書きたがるからである。 誰もが感じることなど書いても面白くないのだ。 ましてや、「世界一のゲーマーになりたい」などという輩の書くことは、世界一あてにならないといっても過言ではないのである。(逃げ) あるゲーマーがいる。 「水ピン」という名前のファミ通編集者である。 彼が自称ゲーマーであるかどうかは定かでないが、まあ、まずまず立派にゲーマーであると私は思っている。 よって、無理矢理送られてくるファミ通.com ニュースメールの中に彼が書いたコラムを読んで、「胡散臭い」と私が思ったとしても、それは仕方がないことなのである。 大体彼は立場上GC応援団員であり、そういう立場であれば尚更疑わしい。 私は疑う人なのである。 『ピクミン』は水ピンのせいで私に疑われる羽目になった。 ただ、疑うからには確かめなければ。 後回しにしようと思っていた『ピクミン』を、発売日から1週間後に発売日と同じ値段で買ったのは、そういう理由からであった。 結果から見ると、これは大正解だったわけである。 『ピクミン』は大変面白いゲームだった。 疑って吉。 割とこういうことは良くある。 かつてのSS用『蒼穹紅蓮隊』もそう。 「『レイストーム』よりも『蒼穹紅蓮隊』の方が面白い」と書く人達を疑ったのが、ハマるきっかけだった。 あれほど素晴らしい経験もなかなかない。 私はこれからも疑い続けるのである。 信じることからスタートしても、疑うことからスタートしても、突き詰めれば辿り着くところは同じはずなのだから。 もちろん、それは私が疑われる事をも意味するが、それも致し方ない。 なにせ私が目指すのは、世界一あてにならないゲーマーでもあるのだから。 <パクリ> 「信じることから始めても、疑うところから始めても」というのは、「特捜最前線」のウケウリ。 「特捜最前線」って知ってる? |