かつて、「バーチャファイターマニアックス」という本があった。 今も私の押入の中で眠っている。 ファミ通編集者にして、『バーチャファイター』がブームだった頃、ゲーマー達の羨望のまなざしを一身に集めていた男、羽田隆之氏が編集した攻略本である。 当時、私は「バーチャファイターマニアックス」を毎日のように開いては、フレームの計算をしていた。 硬直時間と技の出はじめのフレーム数を見比べて、技の入るパターンを考えていたのだ。 いま考えると余りにも不毛な作業だったように思うが、あのときはそれがとても心ときめく作業だったのである。 SS版の発売とも相まって、私は高まっていた。 だがそれも、「バーチャファイター2マニアックス」が出た時には、既に辛い作業になっていた。 どんどん複雑になっていく3D格闘ゲームに、私は付いていけなくなっていたのだ。 更に時は流れて、DC版『VF3』が発売される頃には、もう私の心は動かなくなっていた。 『ソウルキャリバー』は、オマケ要素を出す、という目標があったから辛うじて楽しめたものの、実質的に私は3D格闘ゲームと別離していたのである。 そんな私がいま『デッド オア アライブ 2』をプレイしている。 一通りのキャラでエンディングを見るところまでやって私が感じたのは、「なんだよ、面白いじゃん!」ということだったのだ。 格闘ゲームから離れて久しい私にこのゲームを的確に捉えることは出来ないかも知れないが、恐れずに書いてみよう。 一見、『VF3』に様々な格闘ゲームの要素をくっつけたような印象だ。 モーションなんかを見ていると、いかにもバーチャっぽい。 しかし、このゲームの制作者のねらいは「ディレイの攻防」にあるのではないか、という気がする。 多くのコンボ技の途中で、一見無防備に見えるモーションが入る。(ちょっと大げさに感じるくらい) そこで技を出すか、止めるか、の心理戦に重きを置いているように感じるのだ。 私はコンピ相手に騙されまくっている。 しかし、それとてバーチャが紡ぎだした路線の延長と言えなくもないのだが。 私はこのゲームの生い立ちを考えていた。 この『デッド オア アライブ』はギャルゲーだった。 胸の揺れ方が激しいことばかりが喧伝された。 それ故に私も敬遠していたのだ。 バーチャが素晴らしい!と思っていると、まがい物に手を出してはいけないような気がするから。 しかしながら、私が今こうして『デッド オア アライブ 2』を遊んでいるのは、これがギャルゲーだからなのである。 私はゲームの内容をまるで知らないで、キャラに惹かれて買ってしまったのである。 そして私は気づくのだ。 このゲームはギャルゲーである必要があったのだと。 バーチャの後発であり、更にその他大勢の3D格闘ゲームが発売されていく中で、確固たる地位を獲得するための味付けだったのではなかったろうか。 ギャルゲーだからこそ、ファンをつかむことが出来、ファンをつかんだからこそ、こうして続編が作られることになったのである。 そのことは、一定の地位を築いた後の『2』において、胸の揺れが小さくなっていることでも見て取れる。 ギャルゲー風味の野心的な利用法と言えるだろう。 <後日談 2000_10_10> 『デッド オア アライブ 2』が面白い。 ちょっとまじめに取り組んでみようかな、と思ってDCマガジンの特集を読んでみた。 すると、以下の順に取り上げられていたのである。 1.ホールド 2.クリティカルシステム 3.ステージ 4.カウンター ディレイの事なんかなんにも書いてないよ・・・。 自分の見る目の無さにちょっとガックリ。 しかし1〜4を見てみると、バーチャ3そのものだな、という感じがする。(2.は要するによろけだし) バーチャの延長上にあるゲームだと言うことは間違いないだろう。 バーチャより遊びやすい印象があるのだが。 コマンドが入力しやすかったり、ボタンが3つだからだろうか。 バーチャ3のエスケイプボタンにはどうも馴染めなかったし。 |