塊魂_2

ゲームを追いかけない 2005_01_26

 

『塊魂』は素晴らしいゲームだな、と感じていた。
『ウゴウゴルーガ』の件は別として、私はとても気に入っているのである。
しかし、狭義のゲームとして面白いかというと些か疑問だ。
そんなに大したゲームでもないんじゃないか。
では、なにが素晴らしいのかを考えなければならないだろう。
まず球を転がす他のゲームと比べるところからスタートしてみたい。

球を転がすゲーム、というのは昔からあった。
私がプレイしたことのある一番古いものは、PC88SR用の『Mr.バンプ』?とかいうゲームである。
おそらく17〜8年前の事じゃないか。(曖昧な記憶)
それ以前にもアーケードにはあったそうである。
最近だと『スーパーモンキーボール』なんかはまさにそうだ。

球を転がすゲームに共通するのは、単純であるが故にゲームを求めすぎるところなんじゃないか。
狭いところを通らせたり、慣性を計算に入れないと曲がれないカーブを組み込んでみたり、割とストレスの溜まるゲームが多い。
繊細なプレイを求められがちだ、といった方が良いかもしれない。
面白いんだけど、だんだんやりたくなくなってくるな、というのが私の見解である。

比べてみると『塊魂』にはシャカリキになってゲームをさせようっていう感じがない。
ここが成功だったんじゃないか。
操作系は、アナログスティックを2本使わせるあたり、今までのものより大きめの負荷をかけている。
その一方で、ボールのコントロールは大雑把でイイいんだ、っていうところが斬新なんじゃないか。
アイテムの配置なんかも、「星をつくる7」でバナナが出てくるまで上手く巻き込ませようという意図は感じなかった。
だいたいのプレイで良いんですよ、っていうゲームなんだ、この『塊魂』は。

しかし、だいたいのプレイでプレイヤーが満足出来るのか?という問題が残っている。
そんなんで良かったら、みんなゲームを織り込もうとは思わないはずである。
だったら、なにかしらでプレイヤーの喜びを担保しているに違いない。

実はここからあまり書きたくないんだけど、おそらくプレイヤーの喜びを担保しているのはBGMなんじゃないか。
単純作業をしているときでも、音楽聴きながらやると、案外苦にならなかったりするでしょ?
ああいう感覚なんじゃないかな。
エンディングテーマの『愛のカタマリ』を録画したくて、最初からエンディングまで一気に再プレイしたけど、2時間半全く苦にならなかった。
目はショボショボできつかったけど、気分的には楽しいままだったな。
音楽ってのはゲームの最大のライバルで、あんまり認めたくないんだけど、こればっかりは認めざるを得ない。
実際、BGMには力を入れて創ったそうである。

確かに球の大きさによって障害物が巻き込む対象に変化するあたりは上手い構成だと思う。
今まで立ちふさがっていたものを巻き込んでいく快感は間違いなくあるんだ。
だけど、たぶん本当に『塊魂』の上手いところは、ゲームをある程度捨てて、気持ちよくプレイしてもらおうとしたところなんじゃないか。
続編が近々出るそうだけど、ゲームは追わないで如何に気持ちよくプレイさせるか、に注力した方がきっと楽しいんじゃないかと私は思っている。
PS2用なので、失敗していただいても一向に差し支えないんだけど。




<余談>

ホントに音楽というのはタチが悪い。
ラクで気持ちイイからタチが悪い。
ほかっておくとみんな音楽に流れてしまって、ゲームしなくなってしまう。

かくいう私も松崎しげるの『愛のカタマリ』にはハマった。
『塊魂』をクリアしてからしばらくはゲームしてる時間より『愛のカタマリ』を聴いている時間の方が長かったな。
松崎しげる、歌上手いわ。
だてに日には焼けてない。
んっ?あれは地黒か。



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