ちょっともう、こういう長大なゲームをやるのは無理かな、と思いながらプレイしていた、『ペルソナ3 リロード』。 だって、こっちはいつ死ぬかわからない年齢なんだから。 突然死ぬこともあれば、ある日余命宣告を受けることだってあるわけですよ。 クリアするのにあと50時間って言われたら、おそらく手につかない。 でもクリアしなかったら、気になって成仏できないでしょ。 一昔前は100時間かかると言われたら最初からプレイすべきじゃないと思っていたが、今の時間感覚だと50時間でももうダメだな。 長大なゲームは『ペルソナ3 リロード』、これが最後だろう、と思いながらプレイしていたのである。 しかし、エンディングの余韻に浸っているうち、ちょっと待てよ、と思った。 もうやらないと断言するのは止めた方がいいかもしれない。 酷く後を引くエンディングだったんだよ こういう体験を今後一切しないというのも、それはそれで寂しいものがある。 以下、エンディングの話を書くので、これからプレイするつもりのある方は読み進めないでください。 このゲームの主人公たちは絶望的な状況で一か月を過ごすことになる。 それも普通に、学園生活を。 そこで生きることの意味や、死とは何か、というような哲学的な問いかけに直面するのである。 非常に重いお話だった。 当然プレイヤーも考えさせられるわけである。 学園生活を普通に過ごすといっても、最後の方はやることがなくなって、全然面白くなかった。 でも、これは必要なんだよね、最後の最後にあの余韻を創り出すために。 たぶんある程度時間を使わせなかったら、ああは感じられないはず。 原作時だったら100時間、今だったら50時間ぐらいはどうしても必要なんだよ。 だったら、やるしかないのか、とも思う。 ということは、つまり私がこのエンディングを素晴らしいと感じた、ということである。 こういう経験をまたしたいと思ったよ。 だから、もうやらないとは断言できないんだな。 もっとも、プレイする前から素晴らしい経験ができるかどうかなんてわからないから、たぶんやらないけどね。 たぶん、ですよ。 |