ニンテンドー3DS

3Dは負荷の構成要素になり得るのか 2011_03_19

 

くどいようだけれども、狭義の意味でのゲームは負荷である。
ゲームが3Dになっても、負荷の構成に3Dが影響を与えなければ全く意味がない。
影響を与えないのであれば、それは精々解像度が4倍になった、とか、ポリゴンの出力が10倍になった、というのと同程度の意味しか持たないだろう。
最初は凄い!と思うけど、そのうち見慣れちゃう。
実際いまPS3で遊んでも、そんなに凄いとは思わないでしょ。
3DSのゲームを考える上では、3Dが負荷の構成要素となっているのか、という点に注意を払う必要がある。

ところで、3DSは意外と簡単に手に入った。
アマゾンで3月6日分の出荷を押さえることが出来たのである。
通販であんなに簡単に入手出来るとは思わなかったな。
同発のラインナップに目新しいのもなかったから当然か。
私もやりたいゲームがあったわけじゃなかった。

いざ届いて、『辛口!大籠城』やろうと思ったら、何とDSiウェアがまだ稼働していない。
発売を遅らせた割には見切り発進なんだな。
近頃のゲーム機はネット関係でやることが多くて、開発リソース不足に悩まされている的な記事は良く読むけど、これほどとはね。

しょうがない。
折角だから何かプレイするか、ということで、『リッジレーサー3D』をやってみることにした。
すると、確かに3Dだな。
ちゃんと3Dに見える。
凄いよ。

しかし、やってると3D表示が鬱陶しくなってきた。
ドリフトしたり、ターボを使った拍子に手が動いて、画像が2重に見えてしまうのである。
プレイに夢中になっていると、どっちに傾いているのかわからなくて、立て直すのが難しい。
結果を出そうと思うと、3Dは切った方がやりやすかった。
切っても何の影響もないのだ。

これはちょっと問題だな。
3Dを切っても別にゲームに影響はないのだから。
3D酔いする人は3D切ってもいいですよ、小さなお子様は3Dを切ってください、という話になると、当然3Dはゲームの構成要素にはなり得ないよな。
奥行きを把握できることがゲームに織り込まれていれば、見えないことには話にならないわけだから。
切ってもいい、ということは構成要素になってはいないのである。
3Dを切った場合にはあたり判定が変わるとか、何かあれば話は別だが。
これ、何か意味あんのかな?

もちろん、小さな開発リソースで大きな視覚的効果が得られるわけだから、創る側としてはありがたいことではあるが。
半導体はいずれ安くなるから、ハードウェア的なコスト効率を追い求めた、というよりは、ソフトウェア開発側の負担を小さくする意味が大きいんじゃないか。
プレイヤー的には知ったこっちゃない、という気もするけど。
今のところ、理詰めで凄いなって感じはしないね、3DS。
なんかPSPに毛が生えた程度の印象だな。


戻る