流行り神3

立体的な真実 2009_10_05

 

『流行り神3』が異様に面白かった。
寝落ち用にと思って買ったのだが、全然眠れなくて体調を崩してしまうほどだった。
面白い上に、データベース埋めまでやるとボリューム非常に大きくて、なかなか終わらない。
1日1〜2時間で丸々2週間はかかっているんじゃないか。
データベース埋め作業まで含めると、攻略ページを参考にしても30時間を超えるほどのボリュームだったな。
ようやく追加ストーリーまで一通り終えて、この『3』の面白さはいったい何だったのか?ということを今考えている。

携帯機になったから、あるいはシステムが改善されたから。
はたまた魅力的な登場人物が増えたから。
理由はいくらでも思いつくのだが、このゲームのコンセプトが変わってきたことを一番の理由に私は挙げたいと思っている。
『1』の頃に私が感じていたこのゲームのコンセプトと『3』は全然違うのである。
この点を少し説明してみたい。

正直なところ、『1』の内容をハッキリ覚えているわけではないのだが、『1』は私の認識では、プレイヤーが科学的に考えるのか、オカルト的に考えるのかで真実そのものが変化する、という内容であった。
所詮物事は全て主観だから、ものは考えようだ、という話だと思っていたのである。
オカルトを排除しようと思えば、排除しても良かったのだ。

ところが『3』は全然違う。
真実は一つなのである。
このイメージを持ってもらうためには、真実という名のいびつな立体形状を思い浮かべていただくとイイかもしれない。
つまり、立体的な形状を持つ真実に、科学的という点から光を当てた時に浮かび上がる画、そしてオカルト的という点から光を当てた時に浮かび上がる画を、我々は別々に見ていることになるのだ。
両者には重なる部分もあるが、見え方は全く異なる。
両方の画を見ると、かなり真実が理解できるようになるという仕組みである。

しかし、2点から光を当てただけではどうやっても見えない部分もある。
いびつな立体形状、と書いたのはそのためだ。
真実には影の部分もあって、そこでは得体の知れない組織が活動しているらしい。
見えない部分があるということは誤魔化されているように感じる可能性もあるわけだけど、私はこれがうまく作用しているように感じたな。
文字通り物語に厚みができた。
真実は立体的だからね。
得体の知れない連中の動きがわかってくると、全体像が見えてくるような感覚が得られるな。
最終話なんかは主人公の背景が少しわかってきて、私はワクワクした。

もともとスタート時に意図した内容ではなくなってきているような気はする。
オカルト的な側面は初めから真実の中に含まれているのであって、それを排除することはできないわけだから。
でも、これはこれで面白いんじゃないか。
私は個人的には非現実的な話は嫌いだけど、全然気にならなかった。
次回作があれば、是非やりたい。


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