首都高バトル2_3

370km/h の景色の中で 2000_08_08

 

ようやくラスボスを倒すことが出来た。
この『首都高バトル2』に関しては、非常に満足行くプレイが出来たと自負している。
いや、ファミ通の言いなりなんけど。

さて、最後のラスボスだが、最高のパーツと最速のセッティングさえ用意できれば、倒すことはそんなに難しくはなかったと思う。
直線コースが続く湾岸線で勝負を挑めば、邪魔になる普通車もほとんど問題にならない。
自分と同じ車線に現れるということがわかっているからだ。
ただそこには激しい緊張があった。
時速370km/h で流れる景色の中、普通車にちょっとでもこすってはいけない、壁に尻をぶつけてはいけない、という緊張の極限状態で走り続けた。
それはほんの2〜3分のはずだったが、果たしていつになったらラスボスのSP(精神力みたいなもの)が尽きるのかとじりじりする思いだった。
最後の最後で、このゲームが精神をすり減らすバトルなんだということがわかったような気がする。

さて、このゲームには随分と楽しませてもらったが、ファーストインプレッションはそんなにいいものではなかった。
非常に単調なゲームだと思った。(とても眠かったし)
どうしてこんなに楽しむことが出来たのだろうか?
こんな時は、今まで自分が楽しいと思ったレースゲームとの違いを考えてみるといいかもしれない。

例えば『セガラリー2』と今回のプレイは何が違ったのか?
決定的に違うのは、『セガラリー2』では常に後方視点だったが、『首都高バトル2』では常にドライバー視点だったということだと思う。
『セガラリー2』ではタイムアタックを念頭に置いていたので、車体の進入角がわかるように常に後方視点を選んでいた。
ドライバー視点の方が面白いかもしれないが、私にとってそれは必然だったのだ。
そして、『首都高バトル2』においてもそれは必然だった。
バトルをするには、どうしてもバックミラーが必要だった。
加速で上回るライバルカーにはブロックで対抗するしかない。
ドライバー視点でなければならなかった。
そして、だから面白かったのだと思う。
最後のラスボス戦、後方視点だったらよほど気の抜けたものになっていただろう。

このゲームは、バトルをさせることによりドライバー視点をプレイヤーに強制し、そのかわり比較的単調な実在のコースをあてがった。
もしこれで複雑なコースを走らせるようだったら、このゲームは成立しない。
首都高で実際にレースをする輩をモチーフしたこのゲームが、このようなバランスを持って作れらたのは偶然だろうか?
いや、そうではあるまい。
実際に首都高で走る人々も、そこが単調でスピードを出しやすいから、あるいはチューニングの結果を反映しやすいから首都高を利用するのだ。(ぐるぐる回って帰ってこれるし)
そういう意味でいえば、このゲームの本当に素晴らしいところとは、「首都高でバトル!」というところに着眼したことかもしれない。

何はともあれ、私はとても楽しかった。
ゲームのせいで本当に首都高でバトルする人間が増えないことを祈る。