嘘を書いた。 「喜びを増幅する効果がほとんどない」ってことはない。 『影の塔』にだって、ちゃんとある。 CGが特別綺麗でなくても、演出が派手でなくても、ストーリー上の価値付けが無くても、喜びを増幅する事は可能なのだ。 このことを少し説明したい。 実際のゲームとは必ずしも一致しないのだが、例えば、投影面を90度回転させるポイントが8個あって、順に順に一回ずつ回転させるようなケースを考えてみることにする。 右回りと左回りの2通りあるから、正解にたどり着くには、単純に言って最大2の8乗通りの試行が必要になる。(実際はそんなに単純じゃないけど) しかし、この『影の塔』では間違った方向に回すと、必ず影の壁に押しつぶされてやり直しになるようにデザインされていた。 回転方向と方向キーが私の感覚と逆になっていて、常に潰されていたために、私はこのことに気づいた。 これはつまり、間違った方向へ進むことが出来ないから、1ポイントにつき2回廻せば、必ず正解にたどり着くということである。 だから、8ポイントあっても、実際には2×8で最大16回試行すればいい。 最大256回やるところが最大16回で済むわけだから、大きな壁を小さな努力で乗り越えていることになるだろう。 言い方を変えれば、限定を用いて喜びを増幅していると言っていいんじゃないか。 間違った方向へは進めないことに気づかなければ、の話だけど。 考えてみれば、RPGなんかでもこういう事はよくある。 どこまでも続いているかのように見える草原であっても、実は見えない壁があって、ごく狭い範囲しか動けない、なんてこともあるだろう。 少し離れたところから煙が上がっていて、いかにもそっちへ行って欲しそうだったりして。 そこで見えない壁の範囲を確認しようなんて思わないで、素直に煙の方へ進んだプレイヤーは、無限に広がる可能性の中から煙の方へ進むことを自ら選択した恰好になる。 結果、短い時間でイベントに遭遇出来て、かつ自分の意志で物語を進めているような気分になれるじゃないか。 その方がたぶん得だよね。 壁の範囲とか調べてたら時間の無駄だし、どうやったところで煙の方へ進まなければならなかったことを知ってしまったらつまらないだろう。 明らかに損してる。 なまじっかゲームの構造を知っていると、折角の喜びを増幅する仕組みが働かなくて損をするということはありそうである。 私が『影の塔』をキツイばっかりであんまり得をしていないように感じていたのも、そのせいかもしれない。 それはへービーゲーマーと呼ばれるような連中が、ゲーム業界において如何に厄介者であるかを示しているとも言えそうだ。 |