ゲームを創る側は当然、誰をターゲットにするかを考えているはずである。 子供向けのか、男性キモオタ向けなのか、腐女子向けなのか。 そもそもゲームは自分がやるものであって、批評するなんてのは全く無意味なのだが、ターゲットになっていない人間がああだこうだ言うことほど無意味なこともなかろう。 もし批評するなら、少なくとも自分がターゲットゾーンに含まれるかどうか、あるいはターゲットに入る人であればどう感じるか、ということぐらいは考慮すべきだ。 ところで、『1-2-Switch』の話である。 1人用のゲームがほとんど無いと聞いていたので、やるつもりは全くなかったのだが、今更プレイした。 だって、他になんにも無いんだもん。 どうしようもないので、自分の中にもう1人の人格を生み出して左手を担当させ、鏡を見ながら右手と対戦してみた、一通り全部。 やってみたら、意外と面白いかもしれんと思った。 もちろん1人でやったら面白いはずもないけど。 このゲームの狙いがどこにあるのかを示すのは、おそらく唐辛子だな。 個々のゲームにはそれぞれ唐辛子による評価がついている。 この唐辛子は必要とされるテンションの高さを表しているのだ。 プレイ内容が恥ずかしいものについては、ある程度覚悟してくれってことだろう。 つまりこのゲーム、恥ずかしいことが重要なんじゃないか。 お笑いの世界で緊張と緩和がどうのって話をよく聞くけど、あれと似たような感じじゃないかと思うんだ。 プレイしているときの恥ずかしさが、終わったあとに面白かったと感じさせるんだろう。 単純にゲームが面白いかどうかって話じゃない。 とすると、だよ。 このゲームを最も楽しめるプレイヤー像を想像すると、ちょっと心の距離が開いた人たちがフィットしそうだな。 親しすぎると恥ずかしくないからね。 例えば、顔ぐらいは知っているご近所さんや引っ越してきたばかりのお隣さんとパーティーをするようなケースなんかが該当するのではないか。 パーティー文化を有する欧米では、よくある状況のような気はする。 アメリカなんかだと、近所にどんな人が住んでいるのか分からないと不安だから、お近づきになるために多少の出費は気にしないんじゃないか。 一方で、日本だとそうはならないかもね。 日本だと滅多にパーティーなんかしないし、するにしても、相当親しい間柄でしかやらないでしょ。 そうなると、なんだこりゃって話になっちゃうかもな。 冷静に判定を疑い始めたりすると、まるで面白くないだろうな、きっと。 ターゲットじゃない人に対して売れすぎると、評判が悪くなってしまうことはあるだろう。 少なくとも、私がやるようなゲームじゃない。 ちなみに、右手と左手で闘ったところ、ほとんど右手が勝った。 利き手が右だから当たり前。 <追加> HD振動はあんまり凄いと思わなかった。 なんだか期待が薄れていく。 |