天才と秀才

天才と秀才 2004_03_29

 

「天才」と「秀才」って、どっちがより上の誉め言葉なのか?
私のイメージでは「天才」ってのは努力しなくても出来る人のことで、「秀才」ってのは努力して出来るようになる人のことである。
私は「天才」の方が良いよな、って思う。
だってラクそうだもん。

少し前のことになるが、Cさんが「K先生は秀才だ」って連呼しているので、今は秀才ってそんなに良い意味じゃないですよ、と言ってみたことがある。
ところがCさんが言うことには、「秀才」ってのは「天才」よりも程度の高い誉め言葉なんだと主張するわけである。
えーっと思ったのだが、一昔前の人はそう思うらしい。

ちなみに辞書によると「秀才」っていうのは、科挙(唐とか隋の時代の国家公務員採用試験みたいなやつ)の受験生を指す言葉だったそうで、確かにそりゃ努力家以外の何者でもない。
当時の勉強ってのは一字一句丸暗記だから。
逆にいうと、どんなに頭が良くても、知らない人は答えられない世界である。
やっぱりあんまりイイ言葉じゃないような気がするね、「秀才」は。

先日、松井秀喜とビートたけしの対談番組を見ていたら、たけしが松井のことを「秀才」だと言っていた。
どうやら、「秀才」だからきっと松井は努力するし、もっと伸びるだろう、という話だったようである。
言葉ってのは割と都合よく使えるもので、話の流れの中で「天才」がいいときは「天才」を使えばいいし、「秀才」がいいときは「秀才」を使えば良いのだろう。
イチローを「天才」に割り振っていたので、誉めてんだかなんなんだかよくわからなかったけど。

でも私はやっぱり天才がいいなー。
努力しなくても出来る人間になりたい。
まあ、「秀才」は努力次第でなんとかなるかもしれないが、どうあがいても後発的に「天才」になることはあり得ないのだが。



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