「天才」と「秀才」って、どっちがより上の誉め言葉なのか? 私のイメージでは「天才」ってのは努力しなくても出来る人のことで、「秀才」ってのは努力して出来るようになる人のことである。 私は「天才」の方が良いよな、って思う。 だってラクそうだもん。 少し前のことになるが、Cさんが「K先生は秀才だ」って連呼しているので、今は秀才ってそんなに良い意味じゃないですよ、と言ってみたことがある。 ところがCさんが言うことには、「秀才」ってのは「天才」よりも程度の高い誉め言葉なんだと主張するわけである。 えーっと思ったのだが、一昔前の人はそう思うらしい。 ちなみに辞書によると「秀才」っていうのは、科挙(唐とか隋の時代の国家公務員採用試験みたいなやつ)の受験生を指す言葉だったそうで、確かにそりゃ努力家以外の何者でもない。 当時の勉強ってのは一字一句丸暗記だから。 逆にいうと、どんなに頭が良くても、知らない人は答えられない世界である。 やっぱりあんまりイイ言葉じゃないような気がするね、「秀才」は。 先日、松井秀喜とビートたけしの対談番組を見ていたら、たけしが松井のことを「秀才」だと言っていた。 どうやら、「秀才」だからきっと松井は努力するし、もっと伸びるだろう、という話だったようである。 言葉ってのは割と都合よく使えるもので、話の流れの中で「天才」がいいときは「天才」を使えばいいし、「秀才」がいいときは「秀才」を使えば良いのだろう。 イチローを「天才」に割り振っていたので、誉めてんだかなんなんだかよくわからなかったけど。 でも私はやっぱり天才がいいなー。 努力しなくても出来る人間になりたい。 まあ、「秀才」は努力次第でなんとかなるかもしれないが、どうあがいても後発的に「天才」になることはあり得ないのだが。 |