年賀状

年賀状 2003_12_24

 

私は年賀状が大嫌いである。
出来ることならば年賀状など書きたくはないのだが、どうしても3枚ほどは毎年書かねばならない。
社会人の辛いところである。
今年はひとり喪中がいて2枚しか書かないのだが、もうイヤでイヤで仕方なかった。
2週間前から用意しておいた葉書に、昨日やっとコメントをつけ終わったところである。
どこぞのHPに乗せてあった凡例をちょこっと書き換えただけなのだが、もう精も根も尽き果てたといった有様であった。(やや誇張)

私は子供の頃から年賀状が大嫌いだったが、それは単にメンド臭いからだった。
送られてきた年賀状に返事を書くのがひどく面倒だったものである。
それでも小さい頃はイヤイヤ書いた。
しかし、人間というのは不思議なもので、そのうち年賀状を書かないことを正当化するようになる。
メンド臭い、では年賀状を書くことが正しいと思われている世間に対抗できないからだろう。

年賀状を否定するために、最初に私が着目したのは「あけましておめでとうございます」という一文だった。
年があけて何がめでたいねん!という話である。
「おめでとう」という感覚は私たちにはないだろう、そんなのは嘘っぱちだ、と思う。
昔は今みたいに毎日が楽しくないので、めでたい日を勝手に決めて祝っていたのだろうと後になって考えるようになったが、それにしたって今は別にめでたくはない。
私たちは毎日テレビを見ることも出来れば、ゲームも出来るし、映画だってなんだって、その気になれば毎日楽しむことが出来るのである。

まあ、「あけましておめでとうございます」はいいだろう。
単なる枕だとと思えば腹も立たない。
いま私がイヤなのは、個別に嘘を書くことである。
お世話になっているつもりもないのに、「昨年中はお世話になりまして」とか書くのが許せない。
指導もされてないのに「変わらぬご指導を」などと書くのはイヤだ。
言葉というのは、感情の発露である。
お為ごかしを述べるために書くのではない。
悪しき風習は廃すべき!と私は主張したい。

早いところ年賀状を書かなくても良いような環境に自分を置きたいと思っているのだが、人の世に生きていると思うようにはならない。
ことによると、今後もっとたくさん書く羽目になりそうな予感もあり、全く気の滅入る話である。


戻る