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第4回 『お上りさん』
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先日京都で、陶芸家・河井寛次郎の記念館に行った。陶器を展示している美術館という認識しか持たず訪ねたら、そこは寛次郎自身が設計し、住み、仕事をした場所であった。そう、入り口はごく普通の町屋であるにもかかわらず、奥には登り窯があるのだ。まるで京都という街そのものではないか。さしたる広さもなくざっと見るのは簡単だが、実は奥が深く一筋縄ではいかない。 関西で生まれ育った私にとって、京都は日帰りで行く身近な場所だった。遠足やドライブ。わざわざ土産を買うほどでもないから、店を見ることもない。泊まらないから、夜の街の顔も知らない。行くのはほとんど神社仏閣と有名な年中行事、それで京都のことを良く知っていると思っていた。ところが―。 名前だけは聞いていても見たことのない行事の一つに、壬生狂言があった。たまたまピッタリの日にちに京都に居たので、行ってみることにした。どれほど大勢の人が押し寄せているかと思ったら、案外人は少ない。日中に行われる無言劇は、不思議な明るさと残酷さに満ちていた。醜女(しこめ)で身重の妻が捨てられるという演目のせいかもしれないが、そういうものを見て憂さを晴らしていた民衆の想いが感じられる。こんな歴史のある行事が、さして騒がれもせず日々行われているのが京都というところなのだと、感心したものだった。 夜の先斗町(ぽんとちょう)を歩いたのも比較的最近になってからだ。無数の料理屋、飲み屋、そこに集まる人を相手にした小物の店。時折超モダンな店があるのも京都の特長だ。そこにお客が連れてきた舞妓さんが居たりする。骨董店がぎっしり並ぶ新門前通り、申込で見学する二条陣屋や角屋、有名だけどめったに入れない御所。ここ数年に行った京都は、これでもかというくらいの奥深さを見せる。 考えてみればそこは千年の都、私の生は半世紀にも満たない。町は古くとも中心地ではなかった尼崎に生まれ、たかだか百年ちょっと前に都になった東京に住む私など、京都という街にとってはホンの小娘、ただのお上りさん。わかったつもりになるなんて、大きな間違い。古さが売り物かと思えば、いきなり駅ビルを近代的な建物にしてしまい、景観破壊と嘆く人を後目に観光客を集めてしまうしたたかさも見せる。 そんなわけで、これからも私の京都通いは続くだろう。古さも新しさも、ゆかしさも陰険なところも、合理性も理不尽も、すべて味わい尽くすため。 (写真は上から、河井寛次郎記念館、角屋、京都御所) |
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98年11月20日UP
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