エッセイ・四角い箱から
 
第23回 『守る人』 
 


 日本代表の優勝でサッカーアジア杯が終わった。決勝戦で何度も美技を披露した川口能活選手に対しては、今のところ絶賛の嵐である。“今のところ”というのは、その評価がちょっとしたことで手のひらを返したように変わることを、私は知っているからだ。早い話が、この試合の前半。とりたてたミスはしていない。にもかかわらず「不安定だ」「恐い」と、速報ページで言われていた。

 何がそう思わせるか。答えは簡単、ゴールキーパーがペナルティーエリアを1歩でも出れば恐いと言われるのである。相手FWと前後しながら背走してくるディフェンダーが対応をするより、正面を向いているキーパーのほうが的確に対応できるのに。シュートを打たれる前にその芽をつぶすより、ゴールの前にへばりついて打たれるのを待てというのだろうか。

 人はまず、目に見えるものを信じる。未然に防いだシュートやコーチングは目に映らない。それだけ危ないシーンを作られたというのは誉められることではないのに、ファインセーブは人の心を動かし感動を呼び、キーパーは賞賛される。こんな矛盾を抱えたゴールキーパーというポジションの選手を、どうして好きになってしまったのだろう。

 FWなら9回はずしても1回決めればヒーローになれるのに、もう後ろに誰も居ない最後の砦・キーパーは小さなミスさえ許されない。たとえチームが勝っても失点があれば釈然としない。DFなら自分でゴールすることも可能だけれど、キーパーはそれもできない。ストレスがたまることこの上ないのだ。それなのに。

 ほとんど暇つぶしのつもりで1994年1月、高校選手権準決勝を見た。そこに居たのが川口能活で、正直に言えばその見目にひかれたのだ。トップチームに上がった彼がマリノスの優勝でマスコミに登場するようになり、インタビューを聞き記事を読み、次第にその若さに似合わぬ古風なものの考え方にも惹かれていく。サッカーという競技を面白いと思い始めたのはそれからだ。そしてフィールドの選手で目に付くのは、DFや守備的MF。そこでようやく気がつく。なんのことはない私は、後ろで黙々と仕事をする“守る人”が好きなのだ。

 だが川口能活はただ守っているだけの人ではない。「1歩も出るな」と多く人が思っているペナルティーエリアという檻を、時に飛び出し時にそこから鋭いパスを送り、攻めの気持ちを持ちつづけている。高校生の彼の中にその資質を見抜いたわけではないけれど、見目だけで6年近く応援しつづけることなどできはしない。

  11人の中でただ一人手を使える特殊なポジション、へそ曲がりの私が好きになるのにふさわしいではないか。「みんなキーパーのことをわかってくれない」とか「FWのファンはお気楽でいいわよね」などと言いながら、結局は“守る人”をこれからも応援しつづけるのだろう。

 
2000年10月30日UP

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