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第20回 『5月の旅(植物編)』
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5月のことを「若葉の食べられるとき」と、作家・中井英夫は書いている。確かに芽吹いたばかりの若葉は、そのまま摘んでサラダにして食べられそうだ。そんなみずみずしい季節に、九州を旅した。空港で借りたレンタカーで高速道に乗ると、もう緑が迫ってくる。春先の煙るような風情から、若い緑がもくもくと湧いて出ているような感じに変わっている。木の花はほとんどが終わっていたが、3日目に走った由布院から阿蘇にかけては、野生の藤が花盛りだった。 しかし、やまなみハイウェイの途中にある長者原は、山の上だけあって春が始まったばかり。陽射しは暖かだが、風は少し冷たいくらいだ。名前は解らないが、2センチほどの小さな水色の花が、可憐に咲いている。背の高い樹々は若い葉をつけていても、背の低い木は、まだ芽吹いてさえいない。やがてはこの湿原に、高山植物が花をつけるのだろう。 阿蘇ではミヤマキリシマが咲き始めていた。普通の躑躅はそろそろ終わりかけているが、この花ははこれからが見頃。7年前の旅行では真っ盛りで、仙人も酔ったという仙酔峡は渋滞で近づけないくらいに観光客が押し寄せていたっけ。お椀を伏せたような米塚や草千里はすでに緑の絨毯に覆われている。阿蘇といって思い出すのは、この緑だ。麓の町では、その阿蘇の育んだ水がこんこんと湧き出ている。何カ所もある水源の一つで水を汲んでいるとき、ふと思った。人は水と土で生きていると。そしてそれらは、その場所固有のものだ。その水と土で育った食物を食べ続けていれば、体質も一定のものになるのではないか。少なくとも故郷の水や野菜が美味しいのは、そのせいだろうと。 宮崎ではメインストリートにフェニックスが植えられている。ちょっと背が高くなりすぎているが、他には無い景色で街の特徴だ。歩道には綺麗な花が並ぶ。どうやら『フラワーフェステイバル』なるものが開かれているためらしい。会期が終わったら引っ込められてしまうのだろうか?日本の町並みが、欧州のそれのように花で飾られるのは、いつのことだろう。 宮崎から一気に都井岬まで下る。どんどん緑が濃くなり、いかにも南国の風情だ。野生の馬が、草をはんでいる。イギリスなどで見る赤い罌粟が咲いていたのは、このあたりだったか。どの花も色が濃いように思う。そのまま走っていった霧島はまた山の上、季節が少し戻るようだ。この旅行中よく聞いた鶯が、鳴いている。 長崎のハウステンボスではチューリップが終わり、雛罌粟の花畑か広がっていた。薔薇も美しく咲いている。開園当初訪れたときはまだひょろひょろとしていた樹々が、根を広げ梢を伸ばし風に葉を翻らせて、気持ちのいい木陰を作っている。7年の月日が借り物だった景色を本物にした。どんなに立派な建物を建てても、そのままでは芝居の書き割り。そこに緑が根付いて初めて一つの風景になるのだろう。 そして最後に訪れた大牟田のあたりには、竹が多い。春先に出たばかりの竹の子が、もう2メートルほどにもなってツンツンと三角の頭を見せている。そんな竹藪のそばに、川崎家の墓はある。私自身、父でさえも戦争中のわずかな時を除いては、この地に住んだことがない。それでもなにがしかの懐かしさを感じるのは、先祖達が生きた場所だからだろう。竹藪も、まわりの緑も、できればずっとそのままでと思うのは、都会に住むものの身勝手だろうか。 いずれにしても、一番美しい季節に旅した九州の緑は、みずみずしく鮮やかだった。 |
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99年5月23日UP
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