エッセイ・四角い箱から
 
第2回 『紅葉狩り』 
 
 一時期、狂おしいほどに花や紅葉を見たい頃があった。春の桜は、私の住んでいる街でも咲く。ほど近い隅田川まで行けば、1キロ以上続く並木がある。年によって日にちは微妙にずれても、咲かない年は無い。しかし、紅葉となると、話は別だ。夏の気温、日照時間、秋ぐちの冷え込み、台風の有無、いろいろな条件が重なって、美しい年とそうでない年がある。生煮えのような冴えない色の時、紅葉せずに枯れてしまう時。だからこそ、毎年10月の声を聞くとそわそわし、気象庁の予想に注意を払い、新聞やテレビの報道で紅葉前線の場所を確認する。

 だが、ここ2年ほどそれがない。他のものに気を取られていたからだ。言わずと知れた、サッカー。特に去年の秋は、W杯アジア最終予選のまっただ中にいて、アウェイのゲームに全て行ったのだから、まず時間がなかった。そして何より、心に余裕がない。一つのことで一杯で、他のものは入らなかった。逆に言えば、狂おしいまでに花や紅葉を追っていた頃は、心がカラツポだったわけだ。どちらの状態が幸せかわからないが、今はまた、紅葉を気にしている。

 ただし、今年は天候が不順で、初めから諦めていた。いや、今年だけではない。ここ数年、紅葉が美しかった年は無い。だから、4年前私は、カナダまで見に行こうと思い計画を立てた。が、その時はいろいろな事情で実現しなかったのだ。そのうちにサッカーに熱中し、海外旅行はすべて観戦ツアーとなり、今年の夏フランスW杯でピークを迎える。

 その時点で、私はサッカーに於ける最高のものを見たことになる。決勝戦を見たわけではないし、我が日本代表は1勝もしていない。それでもW杯という舞台が、単なるスポーツの試合というだけでなく、愛国心や世界との関係などを考えさせる最高の場であることに間違いはなく、私はそこに居合わせることが出来た。

 一方紅葉には、どれが最高というものはない。美に一等賞がないように。だから、いつまでも追い求める。もっと、もっと美しい紅葉をと―。「見るべきほどのものは見つ」などと思えるのはいつの日か。もしかしたら、一生追い続けるのかも知れない。紅葉を、まだ見ぬ美を、心震わす何かを。

 さて、今、日本代表はしばらく海外遠征の予定がない。来年あたり、いよいよカナダ行きか?と思っているのだが、それは日本サッカー協会が、フル代表の強化試合をどの様に組み、トルシエ新監督がどの様な選手を選ぶかにかかっている。99年の秋、私はどこで何を見ているだろう。何を追い求めているだろう。

 
98年11月2日UP

着物deサッカー