エッセイ・四角い箱から

 
第17回 『緑の屋根』
 


 長い間行きたいと望んでいた夢の村があった。ポートメイリオン。日本では1967年にNHKで放映された、イギリス製のテレビドラマ『プリズナーNO.6』のロケ地である。南欧風の建物が点在するそこは、村でありホテルなのだ。いつか行きたいと思いながら、場所がわからず、もしかしたらもうつぶれてしまっているのかも知れないと半ば諦めていた。

 ところが5年前イギリス旅行に行くことになり、英国観光局で改めて調べたところ、ちゃんと営業していることがわかったのだ。以前知人に調べてもらったときは「イギリスのホテル」と言ったからいけなかったらしい。ホテルのガイドブックは、いや、それ以外のあらゆることでも“イギリス”という国はなく、イングランド、ウェールズ、スコットランド、北アイルランドに別れている。サッカーを見るとよくわかるのだが、それぞれが独立した地域としてW杯予選に参加しているくらいだ。その、ウェールズの中に、ホテル・ポートメイリオンはあった。

 予約の段階でまず驚いたのは、1泊だけでは泊まれないことだ。広大な敷地には、オリエンテーリングのできる森や広場、ホテル、コテージ、店舗、砂浜、灯台などがあり、それらを楽しむには、最低2泊以上必要というわけだ。普通は1週間単位で泊まるらしい。といって、東の果てから行く私達、他にも見たいところはたくさんあってここで1週間を使うわけにはいかず、2泊だけすることにした。ポートメイリオン

 行って驚いたのは、その古さだ。イギリス人ウィリアム・エリーズ卿が、いかに自然を破壊せずに開発をするかというテーマに添って展開したホテルは、1926年にオープンしている。広場の入り口にあるアーチ型の門や舞台は、苔むして、そこをクジャクの母子がゆうゆうと散歩していたりする。日本なら、あっという間にブルドーザーで土地をならし、近代的な施設を持った高層ホテルが建てられるだろう。増築で、古い日本旅館に鉄筋の建物がくっついているかもしれない。だが、ここは違う。今も少しずつ、手直しはしているようだが、その直し方は心から感心するものだった。

 『プリズナーNO.6』でそこは、引退したスパイ達の村という設定になっている。無理矢理連れてこられた主人公のNO.6は、村の最高責任者NO.2に情報提供を迫られる。そのNO.2の住んでいるのが“緑の屋根の家”だ。けれど、それが見つからない。建て直しでもしているのかと思ったら、屋根を塗り替えていたので気がつかなかったのだ。屋根は、赤茶色になっていた。どうしてドラマの中で重要な場所だった緑の屋根を、そんな色に塗り替えるのか、その時は理由がわからなかった。別の色に塗り替える前の、錆止めの色かとも思った。深く考えるより前に、私の注意はは別の方へ向けられる。NO.6の家として使われた建物が、グッズショップになっているとわかったのだ。

No2の部屋 このドラマは、主役をやったパトリック・マクグーハンという俳優を抜きに語れない。そもそもこの作品は、彼のアイディアから生まれた。プロデューサーと、何本かの演出を本人がやっている。いきおい、主人公には俳優のキャラクターが反映される。鷹のような眼を持つ、意思強固なNO.6に、私は夢中になった。そのグッズの店がある。冷静でいられようはずがない。村の地図、ストーリーブック、CD、カレンダーと買いあさった。

 そして、その文章に気がついたのは、日本に帰ってしばらくしてからである。私は英語が得意ではないので、買って帰った諸々の品に書かれていることがわからない。でも、大好きなプリズナーに関することなのだからと、辞書を引き引き訳を試みた。まずは、簡単そうなカレンダーの写真に付いてる注釈から。その中の緑の屋根の家に対するコメントの中に、今なぜ赤い屋根になっているかが書かれていたのだ。赤はペンキの色ではなく、銅の色だった。銅は年月がたてば緑青がふいて、赤い屋根はいつか緑の屋根に変わるのだと。

 …まいった。日本人には、少なくとも私には、できない考え方だ。今ではない、遠い未来になるであろう姿を思い描き、それに向かって少しずつ進んでいく。何もかもを一気に変えるのではなく、古き良きものを残しながら合理的にすべき所はする。例えば昔の家並みがそのまま残る田舎の美しさと、町で入ったスーパーマーケットの合理的なシステム、その二つが無理なく成り立っている、イギリスという国の懐の深さを見たような気がした。

 私がイギリスを旅したのは、5年ほど前のことだ。当時はまだパソコンを触ることすらなく、インターネットが何なのかも知らなかった私が、今はホームページを開いている。『プリズナーNO.6』の根強いファンがやっている掲示板もあるし、主演のパトリック・マクグーハン氏のページでは、長い間正体の分からなかった映画のタイトルが判明した。…時は流れ、世界は変わっていく。けれど、ホテル・ポートメイリオンは今も変わらずにあるだろう。そして赤い屋根はもう、緑の屋根になっているかもしれない。

 
99年3月30日UP

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