エッセイ・四角い箱から

 
第16回 『1995年』
 


 この年の1月、関西は未曾有の大地震に襲われる。仕事でその時間まで起きていたが、 第一報を聞いた限りでは訳が分からなかった。「ビルが倒れている」というニュースの言葉 に、そんことがあるのだろうか?などと思ったものだ。時間が経ち、生の映像が入ってくる につれ、これはただごとではないと知る。兵庫県尼崎市出身の私には見覚えのある高速 道路が、横倒しになっている。街中が燃えている。倒壊した家の前で、呆然とする人がい る。同級生達の顔が浮かぶ。それでも―。私には実感が湧かなかった。

 3月20日、地下鉄サリン事件。日本の安全神話が崩れた日だ。天災でもない。戦争でも ない。事故でもない。それなのにあれほど多くの犠牲者が出るなどということが、かつて日 本にあっただろうか。自由業で夜型人間の私には、自分も乗っていたかもしれない時刻の 列車ではないが、それでもよく乗る路線には違いない。惨劇はそこで起きた。にもかかわら ず―。自分の身に降りかかるかもしれないこととしては受け取れなかった。

 その翌日、私の元に訃報が届く。三原順。『別冊マーガレット』で、前後してデビューした、 いわば同期生である。彼女は北海道の人なので、しょっちゅう会ったり話したりというわけ ではなかったが、向こうに行ったときに泊めてもらったり、食事をしたりしたものだ。その人 の訃報に、私は旅先からとんぼ返りして札幌に向かった。喪服を着て座った飛行機の座席 で、スキーに行く楽しげな若者の声を聞きながら、初めて自分の方がよその世界にきてい るのだという感覚を持つ。今までどんな大きな事件、事故が起こっても、それはどこか別の 世界の、いわばブラウン管の向こう側の出来事だった。それが、今度ばかりは自分がその 世界に放り込まれたのだ。ただ、その時点でもまだ彼女の死を実感していたわけではな い。

 「ああ、人間て死ぬんだ」心底そう思ったのは、彼女の顔を見たときだ。現実を目の前に 突きつけられなければ、わからない。そのかわり肌で感じたこの事実は、いつか自分の身 にも起こることとして、長く心を占めた。身体の何処からか空気が抜けていくような感じ。た った一人の死、けれどどんな大きな事件よりも胸に迫るもの。

 自分の想像力の欠如を嘆きながら、しかし、こんな風にも考えた。他人の身に起きた不 幸を自分のこととして実感できなくても、自分の身にことが起きたときの感覚を忘れずにそ れを広げていけば、少しは人の痛みがわかるようになるのではないかと。それ以外に、他 人の心に添う方法はないのではないかと。  とはいえ、この年の後半から私はサッカーに熱中し、川口選手を追っかけて競技場へ行 き、三原さんの一周忌には五輪予選でマレーシアにいた。結局、自分の楽しみが最優先さ れてしまう。私というのはそういう人間なのだと、思い知った1995年だった。

 
99年3月20日UP

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