エッセイ・四角い箱から

 
第14回 『私のスペクトラム』
 


 1979年8月25日の深夜、私の目は画面に釘付けになっていた。サザンオールスターズ の出る番組があって、ちょっと見てみようとつけたテレビ。そこに映っていたのは、西洋甲 冑のようなものをつけて踊りながら唄っているロックグループだった。トランペットとトロンボ ーンが入っている。サザンの弟分だが、キャリアは長いという説明。とにかく上手かった。 そして、派手で楽しかった。それが私とスペクトラムの出会いである。

 それからはもう、寝てもさめてもスペクトラム。何がそれほど気に入ったのか、自分でも説 明は付かない。その演奏の素晴らしさ、リーダー新田一郎氏の見目、バンド名のロゴの斬 新さ、ポスターやレコードジャケットのセンスの良さ、色々な要素がないまぜになって、好き という感情になっていた。音楽に関して言えば、管楽器自体の音色が好きだったし。

 どういう方法を採ったか覚えていないが、レコードの発売やコンサートの日にちを調べ、 ファンクラブに入った。漫画家という立場もフルに活用。ちょうど連載していた作品にロック グループが出てくることになったので、彼らをモデルにして描き、それが載っている雑誌を 持ってファンクラブの事務所に遊びに行ったり。まだデビューしたばかりのグループだった から、面白がってくれて、おかげでメンバーと対談することもできた。

 それまで私は何かに熱中することはあっても、その対象物に対してこちらから働きかける ようなことをしたことはない。それがスペクトラムに限って、出来ることは何でもした。北海 道から倉敷まで、地方の公演にもいったし、グループ解散後に新田一郎氏がアニメのアル バムを作るときは、出版社のコネを使って見学にも行った。

 それで何かを得たわけではない。メンバーと個人的に友達になったわけでもなければ、 チケットを優先してもらったりしたわけでもない。何処までもただの“ファン”。けれどこの時 の体験は、好きなものに向かって全力でアプローチする楽しさと、自分で自分をアピールす ることの大切さを教えてくれた。それが後に、サッカーを見るために中央アジアやフランス まで行く私を作ったのである。こうしてホームページを開設して、自分のまんがや文章を紹 介しているのも、あの時のことがあるからだ。じっとしていても何も始まらないし、黙ってい ては誰にも何も伝わらない。

 そのスペクトラムのホームページがあると知ったのは、昨年の11月。私と同じようにあの 頃彼らに熱中し、未だ忘れずにいる人達と、当時は考えてもみなかったインターネットとい う世界で繋がっている。グループの解散から17年、その長い時間が時を越えた関係を可 能にしたのである。 (なお、スペクトラムに興味をお持ちの方は、リンクのページから彼らのファンが開いているホームページに行っ てみて下さい)

 
99年2月28日UP

着物deサッカー