エッセイ・四角い箱から

 
第13回 『豆腐屋になりたい』
 


 それはFMラジオのインタビュー番組でのことだった。パーソナリティーの沢木耕太郎が、 ノンフィクションライターにならなかったら何になっていたかとゲストの高倉健に問われ、こう 答えた。 「水槽に浮かんでいる四角い豆腐のようなものを作る人になりたい。簡単に言えば、お豆 腐屋さんになりたいんです」  高倉健は一瞬絶句した。そして何故と問うこともなく、次の話題に移っていった。おそらく 彼には沢木の気持ちが理解できなかったのではないだろうか。私にはわかった。わかった ような気がした。

 能に『源氏供養』という作品がある。虚構の物語を書いたこと、登場人物を供養しなかった罪によって、成仏できない紫式部の霊が出てくるそうだ。物語の作者は、書いている間 全能の神になる。登場人物を生かすも殺すも自由、人の運命を手のひらで転がして楽しんでいるようなものだ。そんな作業を毎回毎回していると、いつか“物語”というものに復讐さ れるのではないかと感じるのだ。そして思う。「やくざな仕事だなあ」

 沢木耕太郎の書いているものはノンフィクションであり、架空の物語ではない。それでも、 それがこの世にどうしても必要かと言えば、否と答えるしかない。生きるのに必要なものを 作ったり売ったりしている人には、かなわないと思う。特に朝暗いうちから起き出して作業する、お豆腐屋さんなどには。

 白くて四角くて柔らかくて栄養があって美味しい、そういうものを作る人に彼はなりたいの だ。人に必要とされ、朝早く起き、日没と共にとまではいかなくても夜は早々と休む、実直 な生活にあこがれているのだろう。私もまた、漫画家になっていなければ、何かの職人に なりたいと望んだはず。正確な技術で使いやすい道具や美しい布をこの世に送り出す人 に。物を作るのでなくても、金属を加工したり、商品の検査をしたりすることでもいい。技術 が必要で、人が生きていく上で欠かせない作業であれば。

 現実の私は、ひと月の半分を家に閉じこもったまま机の前でうんうん唸り、あと半分はふ らふらと外を飛び回るやくざな生活をしている。規則正しく辛抱強く一つのことをやり続け る、職人さんの人生とはほど遠い。それでもまだこれから、別の仕事を始める可能性が無 いとは言い切れない。50代になって父親のあとを継ぎ塗師(ぬし)になった女性だってい る。「ついになれなかった」よりも、「いつかなれるかもしれない」と思っている方が、人生楽しいではないか。それが私にとっての“お豆腐屋さん”かどうかはわからないが、挑戦して みるのも悪くない。

 
99年2月20日UP

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